魯迅箴言日記 2023/01/27 うつくしき霙ふるなり電気灯(明治28年、1895年)

 今日は1月27日、金曜日です。今日は東奥日報社の柳檀、俳檀の投稿日です。葉書2枚にそれぞれ2句ずつつくり、5時前に投函しました。そのあと、岳樺で吉川さんと飲みました。

 今日の子規歳時は、「うつくしき霙ふるなり電気灯(明治28年、1895年)」です。

魯迅箴言日記 2023/01/26 寒梅のかをりはひくし鰻めし(明治25年、1892年)

 今日は1月26日、木曜日です。今日は極寒と大雪ですべての予定がキャンセルになった。日課をやっていて、プリンター接続がうまくいかず、夜になっても二階のプリンターでプリントが出来なかった。どうにか、日課だけはこなすことができた。

 今日の子規歳時は、「寒梅のかをりはひくし鰻めし(明治25年、1892年)」です。

 ほくほくの鰻飯がうまそうです。紅色の寒梅のかおりがひっそりと漂うようです。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-122「もし風刺の貌をもった作品に、これっぽっちの善意も、情熱もなく、」です。

 如果貌似风刺的作品,

    而毫无善意,也毫无热情,

    只使读者觉得一切世事,

    一无足取,也一无可为,

    那就并非讽刺了,这便是所谓「冷嘲」。

 もし風刺の貌をもった作品に、これぽっちの善意も、情熱もなく、

 ただ読者に、一切の世事はひとつとして取るに足りず、

 ひとつとして為すに値しないと思わせるだけだとしたら、

 それはまったく風刺ではなく、いわゆる「冷嘲」である。

魯迅箴言日記 2023/01/25 雪沓や雪無き町に這入りけり(明治34年、1901年)

 今日は1月25日、水曜日です。生協と市民の会、あいだにホテルでの面談。新報も11部配布しました。あとは、日課をやりました。

 今日の子規歳時は、「雪沓や雪無き町に這入りけり(明治34年、1901年)」です。

 やは切れ字。深い雪道への詠嘆。切れ字けりは、雪無き町にたどり着いた安堵の表現。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-121「散文の体裁は、じつは自在に書けばいいのであって、破綻があってもかまわない」です。

 散文的体裁,其实是大可以随便的,有破绽也不妨。

    做作的写信和日记,恐怕也还不免有破绽,

    而一有破绽灭到不可收拾了。

    写其防破绽,不如忘破绽。

 散文の体裁は、じつは自在に書けばいいのであって、

 破綻があってもかまわない。

 作為的に書いた手紙や日記も、おそらく破綻は免れず、

 一度破綻すれば、収拾不能なほどに壊れてしまうだろう。

 破綻を避けようとするより、破綻を忘れるほうがいい。

魯迅箴言日記 2023/01/24 蜜柑剥いて皮を投げ込む冬田かな(明治27年、1894年)

 今日は1月24日、火曜日です。民宿宮野で起きたのは午前7時、30分だけ日課をやり、朝食をとり、宮野政彦さんに挨拶。ママさんと中村の畳屋の奥さんに挨拶して富岡%親子と民宿を8時40分に出る。アルサスで9時からさいエナジーの取締役会(竹内、富岡親子、田名部、太田、笹田、平野WEB参加)。11時に細川建設(社長・部長)を訪問、12時に番屋めしで昼食。1時より大間町役場で熊谷課長と面談。1時20分、役場出発し、一路青森へ。原別の蛯名、成田、県病前の工藤、建部に新報配布。つづいて、工藤、成田、蛯名、成田、笹森、山下、武井の順でこの日の配布を終える。金沢生協で夕食の買い物をすると時間は夜の8時であった。家で夕食の後、日課の残りをやって、午前1時に就寝。

 今日の子規歳時は、「蜜柑剥いて皮を投げ込む冬田かな(明治27年、1894年)」です。蜜柑も冬田も冬の季語で季重なりです。主たる季語は冬田です。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-120「『白描』にまったく秘訣はない」です。

 「白描」却并没有秘诀。

    如果要说有,也不过是和障眼法反一调;

    有真意,去粉饰,少做作,勿卖弄而已。

 「白描」にまったく秘訣はない。

 あるとすれば、ただ人の目をごまかすのとは逆の方法である。

 真意をこめ、粉飾を捨て、作為を減らして、見せびらかさない、

 ただそれだけである。

魯迅箴言日記 2023/01/25 雪沓や雪無き町に入りけり(明治34年、1901年)

 今日は1月25日、大寒波襲来です。二階の水道が凍結しました。今日の予定は中止します。

 今日の子規歳時は、「雪沓や雪無き町に入りけり(明治34年、1901年)」です。

魯迅箴言日記 2023/01/23 何も彼も水仙の水も新しき(明治29年、1896年)

 今日は1月23日、月曜日です。大相撲は貴景勝が優勝しました。阿武咲は終盤三連敗でしかも千秋楽は髷をつかんでの反則負けというていたらくです。もっともっと精進しないとだめです。今日は午前中新報を配布して、佐井村の民宿宮野に明日の朝の会議のために前泊します。

 今日の子規歳時は、「何も彼も水仙の水も新しき(明治29年、1896年)」です。

 明治29年は、子規の病名が結核脊椎カリエスと判明した年です。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-119「人は寂寞を感じるとき、創作に向かう。」です。

 人感到寂寞时,会创作;

    一感到干净时,即无创作,

    他已经一无所爱。

    创作总根于爱。

 人は寂寞を感じるとき、創作に向かう。

 心がすっきりすると、創作意欲はなくなる。

 彼はすでに愛するものがないのだ。

 創作はすべて愛に根ざしている。

魯迅箴言日記 2023/01/22 昨日見た処にはなし雪だるま(明治23年、1890年)

 今日は1月22日、日曜日です。今日も日課をやり、生協へ行くだけで、月曜日からの仕事にそなえます。

 今日の子規歳時は、「昨日見た処にはなし雪だるま(明治23年、1890年)」です。昨日という時間設定、処という場所情報、そこには雪だるまがいまはない、ということが印象的。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-118「創作は難しいものである」です。

 创作难,

    就是给人起一个称号或诨名也不易。

    假使有谁能起颠扑不破的诨名的罢,

    那么,他如作评论,一定也是严肃正确的批评家,

    倘弄创作,一定也是深刻博大的作者。

 創作は難しいものである。

 人に称号や渾名を付けるのでさえ容易ではない。

 たとえば誰か、ぐうの音も出ないような渾名をつける人が

 いるとしたら、

 彼が評論すれば、必ず厳しく的確な批評家となるだろうし、

 なお創作を手がければ、必ず豊かで味わい深い作者になるだろう。