魯迅箴言日記 2020/03/15 畑打よここらあたりは打ち残せ

 今日は3月15日、日曜日です。外は新型コロナで大変ですが、こっちは3月中の仕事で大変なのと、日課を継続するので大変です。魯迅箴言日記、カバのため息(ブログ)、子規歳時、魯迅箴言論語一日一節、プルトニウム研究、マルクス資本論岩井克人賃金論、夏目漱石草枕です。毎日少しずつですが、朝起きて、3時間は最低かかります。でも、今年も75日、欠かさず続けてきました。昨日、小雪がぱらつき、夕方、成田先生とクレオパトラで吉村作品について話をし、そのあと津軽物産跡の蕎麦屋でそば会席、さらにとり平で如空を飲んで帰りました。今日は一週間に一度の買い物の日です。

 

 今日の子規歳時は、「畑打よここらあたりは打ち残せ」(明治28年)です。この日、子規は郷里の松山へ行き、父の墓を詣でています。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130の58です。

 (原文)

 中国古人,常欲得其「全」,

   就是制妇女用的「乌鸡白风丸」,

   也将全鸡连毛血都收在丸药里,

   方法固然可笑,主意却是不错的。

   删夷枝叶的人,决定得不到花果。

 (発音拼音)

 Zhōngguó gǔrén, cháng yù dé qí `quán',

 jiùshì zhì fùnǚ yòng de `wūjī bái fēng wán',

 yě jiāng quán jī lián máo xuè dōu shōu zài wányào lǐ,

 fāngfǎ gùrán kěxiào, zhǔyì què shì bùcuò de.

 Shān yí zhīyè de rén, juédìng dé bù dào huā guǒ.

 (日本語訳)

 中国の昔の人は、いつもその「全体」を手に入れたかった。

 女性用の「烏雞白鳳丸」を作るにしても、

 鶏まるごと、毛や血までもすべて丸薬に入れる。

 やり方は笑うべきだが、主意としては悪くない。

 枝葉を刈り落としてしまう人は、花も実も得られはしない。