魯迅箴言日記 2020/04/18 石手寺へまはれば春の日暮れたり

 今日は4月18日、土曜日です。16日に思い切って1階の自室のデスクの向きを南向きから西向きへと3年ぶりくらいに替えました。今度は左手が壁に接するので、少し窮屈な感はありますが、とても使い勝手がよく、それに部屋が広く使えるようになりました。プリンターもパソコン台の上から、デスクの脇に置いてこれも成功でした。16日は2階の書斎で原子力資料情報室の理事会をテレビ会議でやりましたし、17日には佐々木範夫さんと3年ぶりくらいに飲みました。今日は4時に家を出て、自転車で散歩がてらジターヌで珈琲豆を買い、事務所で気にかかっていた領収書探しをしてみつけ、そのあと古川2丁目の事務所でひと休みし、とり平によって小銭500円ちょうどをだして帰りました。17日、昼を辻製麺で荒煮干し大ラーメン(780円)を食べ、夕方堤のとくとく(佐々木さんの奢り、銀タラの煮つけ、タラボの天ぷら、ニシンの刺身等々)の帰り、ポーに寄ると「18日まで都合により休み」と張り紙がしてありました。コロナだと思いますが、すこし心配です。この日、ポーが休みなので、とり平(500円)に寄り、さらに「鶴亀食堂」の灯りに誘われて、カレーライス(550円)を食べて、久々の暴飲暴食となってしまいました。今日も、朝飯、昼はインスタントラーメン、2時から長寿会の総会後の懇親会でビニル箱入りおかず、とり平に寄ってハツを食べ、さらに家で夕食といった具合で、大食いはつづきました。88kg台突入しました。明日から節食することにします。

 

 今日の子規歳時は、「石手寺へまはれば春の日暮れたり」(明治28年)です。明治12、3年ころの少年時代から子規は寄席が好きだったようです。故郷松山にある「石手寺へまはれば春の日暮れたり」はこの頃のことを思い出した句です。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130の92です。

 (原文)

  我也曾有如现在的青年一样,

     向已死和未死的导师们问过应走的路。

     他们都说;不可向东,或西,或南,或北。

     但不说应该向东,或西,或南,或北。

     我终于发见他们心底里的蕴蓄了;

     不过是一个「不走」而已。

 (拼音)

  Wǒ yě céng yǒurú xiànzài de qīngnián yīyàng,

  xiàng yǐ sǐ hé wèi sǐ de dǎoshīmen wènguò yīng zǒu de lù.

  Tāmen dōu shuō; bùkě xiàng dōng, huò xī, huò nán, huò běi.

  Dàn bù shuō yīnggāi xiàng dōng, huò xī, huò nán, huò běi.

  Wǒ zhōngyú fā jiàn tāmen xīndǐ lǐ de yùnxùle;

  bùguò shì yīgè `bù zǒu'éryǐ.

 (訳文)

  わたしもかつては、今の青年たちと同様に、

  すでに亡くなった、あるいはまだ亡くなっていない指導者たちに、

  歩むべき道を訊ねたものだ。

  彼らはみなこう言った。

  東、あるいは西、あるいは南、あるいは北に向かってはならない、と。

  しかし東、あるいは西、あるいは北に向かうべきだ、

  とも言わなかった。

  私は、ようやく、彼らの腹の底にある蘊蓄を発見した。

  それはただ、「行くな」ということだった。