魯迅箴言日記 2020/05/17 小硯に金泥かわく夏書哉

 今日は5月17日、日曜日です。今日は一日、家にいて、机に向かっていました。昼に買い物に行った以外は。それに、郵便を出しに、西郵便局へ行ってきました。

 

 今日の子規歳時は、「小硯に金泥かわく夏書哉」(明治30年)です。万年筆のない時代、子規は墨と筆をつかって書きものをしたようです。硯は小学校用のものを使い、筆は10本10銭の筆をつかっていたようです。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130の121「散文の体裁は、」です。

 (原文)

  散文的体裁,其实是大可以随便的,有破绽也不妨。

     做作的写信和日记,恐怕也还不免有破绽,

     而一有破绽,便破灭到不可收拾了。

     与其防破绽,不如忘破绽。

 (拼音)

    Sǎnwén de tǐcái, qíshí shì dà kěyǐ suíbiàn de, yǒu pòzhàn yě bùfáng.

    Zuòzuo de xiě xìn hé rìjì, kǒngpà yě hái bùmiǎn yǒu pòzhàn,

    ér yī yǒu pòzhàn, biàn pòmiè dào bùkě shōushíle.

    Yǔqí fáng pòzhàn, bùrú wàng pòzhàn.

 (訳文)

    散文の体裁というのは、じつは自在に書けばいいのであって、

  破綻があってもかまわないのだ。

  作為的に書いた手紙や日記も、おそらく破綻は免れず、

  一度破綻すれば、収拾不能なほどに請われしまうであろう。

  破綻を避けようとするより、破綻を忘れるほうがいいのです。