魯迅箴言日記 2020/07/06 夏川を二つ渡りて永田村

 今日は7月6日、月曜日です。今日は月に一度の県民エナジー本社での打ち合わせに日です。9時にGEAの事務所に寄って書類をとって、みちのく有料道路と八戸道を経由して、根城の会社へ直行しました。10時40分に20分も早く着いたので、二階の事務室で約束の11時まで待ちました。11時から昼食をはさんで、1時半まで今後の再エネ事業や自治体新電力のことを打合せしました。27日に風間浦、大間、佐井に行くことになりました。あとは、できるだけ家庭用の電気の新電力への切替がすすむように努力するつもりです。夕方に戻り、笹森先生と工藤慎一さんとでとり平で飲みました。

 

 今日の子規歳時は、「夏川を二つ渡りて永田村」(明治29年)です。ここで永田村というのは、いま伊予郡松前町です。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の41日目「たとえ小さな家の子弟でも、」です。

 (原文)

  如果是小家子弟,

       则纵使外面怎样大风雨,

       也还要勇往直前,拚命挣扎的,

       因为他没有安稳的老巢可归,

       只得向前干。

       虽然成家立业之后,

       他也许修家谱,造祠堂,

       俨然以旧家子弟自居,

       但这究竟是后话。

       倘是旧家子弟呢,

       为了逞雄,好奇,趋时,吃饭,

       固然也未必不出门,

       然而只因为一点小成功,

       或者一点小挫折,都能够使他立刻退缩。       

 (拼音)

  Rúguǒ shì xiǎo jiā zǐdì,        
  zé zòngshǐ wàimiàn zěnyàng dà fēngyǔ,        
  yě hái yào yǒngwǎngzhíqián, pànmìng zhēngzhá de,        
  yīnwèi tā méiyǒu ānwěn de lǎocháo kě guī,        
  zhǐdé xiàng qián gàn.        
  Suīrán chéngjiālìyè zhīhòu,        
  tā yěxǔ xiū jiāpǔ, zào cítáng,        
  yǎnrán yǐ jiùjiā zǐdì zìjū,        
  dàn zhè jiùjìng shì hòu huà.        
  Tǎng shì jiùjiā zǐdì ne,        
  wèile chěng xióng, hàoqí, qūshí, chīfàn,        
  gùrán yě wèibì bù chūmén,        
  rán'ér zhǐ yīn wéi yīdiǎn xiǎo chénggōng,        
  huòzhě yīdiǎn xiǎo cuòzhé, dōu nénggòu shǐ tā lìkè tuìsuō.

 (訳文)

  もしも、小さな家の子ならば、

  外がどんな大嵐だったとしても、

  安心して帰れる家がないので、

  必死になって前へ進み、必死になって頑張って、

  とにかく、前進しなければならないのです。

  自分の家庭を築いてからは、

  家系図をつくり、

  先祖を祀るお堂をつくり、

  そして、さながら彼自身が古い家の子であるかのように思うかもしれません。

  ただ、それも成功した後からの話に過ぎません。

  もし、彼が元々古い家の子であるならば、

  力を誇示することや、好奇心やファッション、そして食事をすることについて、

  必ずしも、自分の出身にこだわる必要がないかもしれません。

  しかし、ほんの少しの成功だけで、あるいは、ほんのわずかな挫折だけで、どち

  らも彼をして、直ちに畏縮させることになるのです。