魯迅箴言日記 2020/07/30 形代に卯の年男とぞ書ける

 今日は7月30日、木曜日です。今日は鹿内さんと会うのと、県の会議が午後からあります。そして、川柳の締切が3つもあります。いそがしくなります。昨日は、奥入瀬渓流から十和田湖の休屋まで行って帰ってきました。八甲田のブナの緑と霧雨がとても気持ち良かったです。

 昨日、原子力規制委員会日本原燃が提出していた新規制基準にもとづく施設の適合性に関する再処理施設の工事計画の補正申請書とパブコメの内容も加えた審査書を了承し、適合性審査に合格したことを表明した。まったく、再処理工場の操業ありきの規制委員会の在りかたに怒りがこみあげてきます。もんじゅ廃炉福島第一原発事故の教訓をまったく意に介さない、まさにコロナ禍にあって、火事場泥棒のそしりを免れません。もんじゅと同じように、仮に稼働してもすぐに事故が起きるに決まっている再処理工場をむりやり稼働させて、時間稼ぎをして、

 

 今日の子規歳時は、「形代に卯の年男とぞ書ける」(明治29年)です。明治30年の7月29日の句「君を送りて…」の君は、親友の秋山真之のことで、秋山が米国へ行くことになったのを詠んだ句です。形代の男も秋山真之のことでしょうか。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の65日目「偉大な人物が化石になって、」です。

 (原文)

  待到伟大的人物成为化石,

       人们都称他伟人时,

       他已经变了傀儡了。

 (拼音)

  Dài dào wěidà de rénwù chéngwéi huàshí,        
  rénmen dōu chēng tā wěirén shí,        
  tā yǐjīng biànle kuǐlěile.

 (訳文)

  偉大な人物が化石になって、

  人々がみな彼を偉人だとほめあげるときになると、

  彼はもう傀儡になっているのである。