魯迅箴言日記 2020/08/08 秋立つとひとり上野の森に対す

 今日は8月8日、土曜日です。昨日は夕方、ブルーノートへ行き、ニーナシモンを聴き、そのあと木馬に寄り、8時に青い海公園の花火とねぶたを観て帰りました。

 今朝は4時に起き、6時15分に稲葉さんに軽トラを借りに行き、風晴さんを迎えに行き、7時5分に七和のりんご園に着きました。現地ですでに柏谷先生が待っていて、そこで薪になるりんごの玉切り材を軽トラに積み、七和の福祉プラザで降ろしました。もう一回積み降ろしして、8時少し過ぎに作業は終わりました。あとは、風晴さんを送り、浪館の角弘スタンドで給油して、稲葉さんに軽トラを返して、終了となりました。

 今日は午後から温暖化防止推進委員の研修会です。今日からはお盆休みで、16日まで執筆に専念します。

 

 今日の子規歳時は、「秋立つとひとり上野の森に対す」(明治29年)です。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の74日目「歴史書には、中国の魂が記してあり、」です。

 (原文)

  历史上都写着中国的灵魂,

       指示着将来的命运,

       只因为涂饰太厚,

       废话太多,

       所以很不容易察出底细来。

       正如通过密叶投射在莓苔上面的月光,

       只看见点点的碎影。

       但如看野史和杂记,

       可更容易了然了,

       因为他们究竟不必太摆史官的架子。

 (拼音)

  Lìshǐ shàng dū xiězhe zhōngguó de línghún,        
  zhǐshìzhe jiānglái de mìngyùn,        
  zhǐ yīnwèi túshì tài hòu,        
  fèihuà tài duō,        
  suǒyǐ hěn bù róngyì chá chū dǐxì lái.        
  Zhèngrú tōngguò mì yè tóushè zài méi tái shàngmiàn de yuèguāng,        
  zhǐ kànjiàn diǎndiǎn de suì yǐng.        
  Dàn rú kàn yěshǐ hé zájì,        
  kě gēng róng yì liǎo ránle,        
  yīnwèi tāmen jiùjìng bùbì tài bǎi shǐguān de jiàzi.

 (訳文)

  歴史書には中国の魂が記してあり、

  将来の運命を指し示しているが、

  ただ分厚い修飾や無駄な話が多すぎるため、

  真相が見えづらい。

  まるで茂みを通じて、苔の地面に射し込む月光のように、

  砕け散った灯りが点々と見えるだけである。

  ところが、民間の史書や雑記を読むと、

  かえってわかりやすい。

  というのも、その書き手たちは結局、

  さほど史官ぶって書く必要はなかったからだ。