魯迅箴言日記 2020/08/16 雨雲の月をかすめし踊哉

 今日は8月16日、日曜日です。今日は10時50分から桜川中央公園で県内22団体の子供食堂に対する寄付の青森地区での贈呈式です。青森地区を代表して、「桜川みんなの食堂」の活動主体である「桜川食育教室いただきます!」の代表に目録を県民エナジーの富岡代表取締役が手渡しました。贈呈式には、県民エナジーの富岡社長、富岡取締役、平野県民生協理事長、同じく県民生協の北川さんも参加しました。

 今日は午後1時半に輝代さんの旭町の叔母さんが亡くなったと連絡がありました。夕方に桜川の実家に線香をあげにいくつもりだったので、とてもショックです。7月に肺炎で救急車で運ばれたばかりで、まだ実感がわきません。

 

 今日の子規歳時は、「雨雲の月をかすめし踊哉」(明治32年)です。ここで、季語は「踊り」(秋)盆踊りです。

 

 今日の日本国憲法は、憲法第16条です。

 第16条〔請願権〕

 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

(この条項は、国民の請願権を保証する条文です。)

 

 今日の魯迅箴言は、魯迅箴言365日の82日目「中国には王道があり、」です。

 (原文)

  在中国的王道,

       看去虽然好像是和霸道对立的东西,

       其实却是兄弟,

       这之前和之后,

       一定要有霸道跑来的。

       人民之所讴歌,

       就为了希望霸道的减轻,

       或者不更加重的缘故。

  (拼音)

  Zài zhōngguó de wángdào,        
  kàn qù suīrán hǎoxiàng shì hé bàdào duìlì de dōngxī,        
  qíshí què shì xiōngdì,        
  zhè zhīqián hé zhīhòu,        
  yīdìng yào yǒu bàdào pǎo lái de.        
  Rénmín zhī suǒ ōugē,        
  jiù wèile xīwàng bàdào de jiǎnqīng,        
  huòzhě bù gēng jiāzhòng de yuángù.

 (訳文)

  中国の王権は、

  覇権の逆のように見えますが、

  実は兄弟のようなものであり、

  その前後に覇権が来なければなりません。

  国民の王道に対する賛美は、

  覇権が減るか、

  それとも重くならないかという希望に過ぎないのだ。