魯迅箴言日記 2020/08/18 昼顔の花に乹くや通り雨

 今日は8月18日、火曜日です。今日は十和田のソーラーシェアリングの現場の視察に行ってきます。今日の予定はそこまで、あとは執筆あるのみ。吉田和平さんの死を知り、余計に頑張ろうと決意を新たにしました。

 

 今日の子規歳時は、「昼顔の花に乹くや通り雨」(明治31年)です。子規は幼少のとき左利きで、長じても左手で字を書くのが得意だったようです。

 

 今日の日本国憲法は、第18条です。

 第18条〔奴隷的拘束・苦役からの自由〕

 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

(この条文は、拉致・拘束・苦役の強制からの自由をうたっています。北朝鮮拉致事件のことを思い出します。2012年に拉致事件の解決をうたい文句に政権に返り咲いた安倍首相は、この8年間、拉致問題の解決の為に何をしたのでしょうか。嘘つきの権化が安倍首相だったとはっきりとわかりました。憲法改正の前に、まず拉致問題を解決するのがほんとうでしょう。)

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の84日目「中国人はしばしば坊さんを嫌い、」です。

 (原文)

  人往往憎和尚,

       憎尼姑,

       憎回教徒,

       而不憎道士。

       懂得此理者,

       懂得中国大半。

 (拼音)

       Rén wǎngwǎng zēng héshàng,        
       zēng nígū,        
       zēng huí jiàotú,        
       ér bù zēng dàoshi.        
       Dǒngdé cǐ lǐ zhě,        
       dǒngdé zhōngguó dàbàn.

 (訳文)

  中国人はしばしば坊さんを嫌い、

  尼さんを嫌い、

  回教徒を嫌い、

  キリスト教徒を嫌うが、

  道士を嫌うことはない。

  この理由がわかれば、

  中国の大半をわかったことになる。