魯迅箴言日記 2020/10/01 琵琶一曲月は鴨居に隠れけり

 今日は10月1日、木曜日です。今日は朝一番で新聞社に電話し、郵便局の夜間窓口が閉鎖されていたため、当日消印で投函できない事情を説明して、新聞社に直接持参することで了承してもらい、11時半に届け、とにかく受領してもらった。受賞はむりなことはわかったが、2年がかりで準備したので、自分なりに満足しています。もう核燃に関することを題材に選ぶことはこれで終りにします。

 応募作品を出し終えたあと、もぬけの殻のような状況でした。すこし休みたい気もしますが、文ノ楽の原稿の締切が5日ということで、「サヨナラ楢橋先生」を完成させなければなりません。9月は「六ヶ所臨界」(北狄392号原稿82枚)、「冥界の王」(文学賞応募作原稿100枚)、「サヨナラ楢橋先生」(文ノ楽原稿30枚)、合計で210枚も書いたのですから、とても疲れました。これから、一枚、一枚、丁寧に人間を描いて、読まれる小説を書きたいとつくづく思いました。北狄393号の締切まで、あと55日、一日一枚、心血を注いで書いていきたいと思います。

 今日の子規歳時は、「琵琶一曲月は鴨居に隠れけり」(明治31年)です。

 今日の日本国憲法は、憲法62条です。

 第62条〔議院の国政調査権

両議院は、各々国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の第118日目「我々の無力な古人は何千年も考えて、」です。

 原文;

 我们的乏的古人想了几千年,

    得到一个制驭别人的巧法;

    可压服的将他压服,

    否则将他抬高。

    而抬高也就是一种压服的手段,

    常常微微示意说,

    你应该这样,

    倘不,

    我要将你摔下来了。

 拼音;

    Wǒmen de fá de gǔrén xiǎngle jǐ qiān nián,    
 dédào yīgè zhì yù biérén de qiǎo fǎ;    
 kě yāfú de jiāng tā yāfú,    
 fǒuzé jiāng tā tái gāo.    
 Ér tái gāo yě jiùshì yī zhǒng yāfú de shǒuduàn,    
 chángcháng wéiwéi shìyì shuō,    
 nǐ yīnggāi zhèyàng,    
 tǎng bù,    
 wǒ yào jiāng nǐ shuāi xiàláile.

 訳文;

 我々の無力な古人は何千年も考えて、

 他人さまを制駁する一つの巧妙な方法を考えついた。

 制圧できるものは制圧するが、

 そうでないものは、かつぎあげるのである。

 ところが、かつぎあげるのもひとつの制圧の手段であって、

 いつも、それとなく、

 おまえはこうしておらねばならぬ、

 もしそうでなかったら、

 おまえをつきおとしてしまうぞ、

 という意味をほのめかすのである。