今日は10月1日、木曜日です。今日は朝一番で新聞社に電話し、郵便局の夜間窓口が閉鎖されていたため、当日消印で投函できない事情を説明して、新聞社に直接持参することで了承してもらい、11時半に届け、とにかく受領してもらった。受賞はむりなことはわかったが、2年がかりで準備したので、自分なりに満足しています。もう核燃に関することを題材に選ぶことはこれで終りにします。
応募作品を出し終えたあと、もぬけの殻のような状況でした。すこし休みたい気もしますが、文ノ楽の原稿の締切が5日ということで、「サヨナラ楢橋先生」を完成させなければなりません。9月は「六ヶ所臨界」(北狄392号原稿82枚)、「冥界の王」(文学賞応募作原稿100枚)、「サヨナラ楢橋先生」(文ノ楽原稿30枚)、合計で210枚も書いたのですから、とても疲れました。これから、一枚、一枚、丁寧に人間を描いて、読まれる小説を書きたいとつくづく思いました。北狄393号の締切まで、あと55日、一日一枚、心血を注いで書いていきたいと思います。
今日の子規歳時は、「琵琶一曲月は鴨居に隠れけり」(明治31年)です。
第62条〔議院の国政調査権〕
両議院は、各々国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。
今日の魯迅箴言は、箴言365日の第118日目「我々の無力な古人は何千年も考えて、」です。
原文;
我们的乏的古人想了几千年,
得到一个制驭别人的巧法;
可压服的将他压服,
否则将他抬高。
而抬高也就是一种压服的手段,
常常微微示意说,
你应该这样,
倘不,
我要将你摔下来了。
拼音;
訳文;
我々の無力な古人は何千年も考えて、
他人さまを制駁する一つの巧妙な方法を考えついた。
制圧できるものは制圧するが、
そうでないものは、かつぎあげるのである。
ところが、かつぎあげるのもひとつの制圧の手段であって、
いつも、それとなく、
おまえはこうしておらねばならぬ、
もしそうでなかったら、
おまえをつきおとしてしまうぞ、
という意味をほのめかすのである。