魯迅箴言日記 2020/10/06 朝寒やたのもと響く内玄関

 今日は10月6日、火曜日です。今日は北狄392号の残りの配本を行いました。秋村、船橋、白川、星野、井藤の各同人に配本し、午後は図書館、新聞社、友誼団体・個人へブックメールで郵送しました。あとは、7日に成田本店に納本と返本をしてくるだけです。これで、392号の仕事は17日の合評会(会計と連絡)だけになりました。

 

 今日の子規歳時は、「朝寒やたのもと響く内玄関」(明治28年)です。

 

 今日の日本国憲法は、憲法第67条です。

 第67条〔内閣総理大臣の指名、衆議院の優越〕

(1)内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。

(2)衆議院参議院とが異なつた指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて10日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の第123日目「『世故に長けている』ことを自覚しないまでに『世故』に長けていること、」です。

 原文;

    世故深到不自觉其深于故,

    这才真是深于故的了。

    这是中国处世法的精义中的精义。

 拼音;

 Shìgù shēn dào bù zìjué qí shēn yú gù,    
 zhè cái zhēnshi shēn yú gù dele.    
 Zhè shì zhōngguó chǔshì fǎ de jīng yì zhōng de jīng yì.

 訳文;

 その「世故に長けている」ことを自覚しないまでに「世故」に長けていること、

 それこそが真の「世故に長けている」ものである。

 これこそ、中国の処世法の精義中の精義である。