魯迅箴言日記 2020/11/05 干柿や湯殿のうしろ納屋の前

 今日は11月5日、木曜日です。今日は旧暦の9月20日です。アメリカ大統領選挙はバイデンが優勢のようですが、なかなか決まりません。トランプの往生際の悪さは類をみません。分断がが深まるばかりです。今日は休養日とすることにしました。昼まで日課をやり、漱石草枕マルクス資本論高木仁三郎核燃料サイクル批判」、岩井克人ヴェニスの商人資本論」も漸く当日分に追いつきました。昼にラーメンを食べ、地球温暖化防止推進員の4半期報告を書き送信し、芥川賞直木賞の推薦を書き送付し、週刊金曜日の半年分の購読料を送付し、新木造住宅研究協議会の年会費を支払、市民図書館の魯迅選集の更新を行いました。

 車の修理の予約に津島自動車へ行き、そのあと七和の福祉プラザで明の星の鈴木先生の薪の搬出に立ち合いました。軽トラ1台分、7000円です。柏谷先生、フォレストの間山さん、あかね荘の飛島園長と会いました。

 5時50分に帰宅し、工藤さんととり平で飲みました。7時50分に帰宅しました。

 

 今日の子規歳時は、「干柿や湯殿のうしろ納屋の前」(明治32年)です。

 

 今日の日本国憲法は、憲法第97条です。

 第97条〔基本的人権の本質〕

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の第153日目「感激とは、」です。

 原文;

 感激,那不待言,无论从那一方面说起来,大概总算是美德罢。但我总觉得这是束缚人的。……  因为感激别人,就不能不慰安别人,也往往牺牲了自己,-― 至少是一部分。

 拼音;

 Gǎnjī, nà bùdài yán, wúlùn cóng nà yī fāngmiàn shuō qǐlái, dàgài zǒngsuàn shì měidé bà. Dàn wǒ zǒng juédé zhè shì shùfù rén de.……  Yīnwèi gǎnjī biérén, jiù bùnéng bù wèi'ān biérén, yě wǎngwǎng xīshēngle zìjǐ,-― zhìshǎo shì yībùfèn.

 訳文;

 感激ということは、いうまでもなく、それはおそらく、どの方面からみても美徳といえます。しかし私は、これには拘束があると感じています。他人に感激しているあなたは、他人を慰めざるを得ず、少なくとも部分的には自分自身を犠牲にすることがよくあるのです。