今日は12月15日、火曜日で、年金支給日です。昼に街宣、成田本店、買い物をします。新町から戻り、輝代さん手製のラーメンを食べ、北狄393号の校正作業を行ないました。4時までかけて校正を終え、4時半に西滝郵便局へ出しに行きました。5時に青柳の社文センターの会議に出ました。先輩たちのみんなで渡れば怖くない式の無責任ぶりに呆れました。これ以上落ちるところがないくらい落ちたのですから、これからが少し期待できるでしょう。あとは消えてなくなるか、女性を中心に踏みとどまるかです。前例主義で不勉強で、しかも狭雑物とも思えるいえる人たちがいなくなれば、すっきりしておもしろくなりそうな気がします。どんな結末を迎えるのか、労働組合が労働者層から信頼されていない現状では、女性と緑の視点で草の根市民主義から始める以外にありませんが、純粋さがもどり、新生かつ希望があり、小ながら将来が楽しみです。
そんなわけで、会議は6時40分に終わり、芸鑑の定期演劇で仲代達也を観に行くという田村さんと家に帰るという吉川さんを送って、7時10分に帰宅しました。
今日の子規歳時は、「四絃迫れば凩さっと燭を吹く」(明治29年)です。ここで四絃とは琵琶のことです。
第29条〔財産権〕
(1)財産権は、これを侵してはならない。
(2)財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
(3)私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
今日の魯迅箴言は、箴言365日の第194日目「歴史の指し示すところのものは、」です。
原文;
由历史所指示,凡有改革,最初,总是觉悟的智识者的任务。但这些智识者,却必须有研究,能思索,有决断,而且有毅力。他利导,却并非迎合。他不看轻自己,以为是大家的战子,也不看轻别人,当作自己的喽罗。他只是大众中的一个人,我想,这才可以做大众的事业。
拼音;
訳文;
歴史の示すところに寄れば、一切の改革は、最初はつねに覚醒せる智識人の任務である。だがこれら知識人は、研究を積み、思索能力を具え、決断にとみ、そして勇気がなければならない。彼は権力も使用するが、だましはしない。利益でもって誘導はするが、決して迎合はしない。彼は自分を経由して、人々の役者だと思い様なことはしないが、人を軽視して、自分の子分として扱うこともしない。彼は大衆のなかの一人にすぎない。それでこそ、大衆の事業がやれるのだ、と私は思う。