今日は4月17日、土曜日です。今朝は6時に起き、新聞を読み、6時半から日課を始めました。午後2時から日中友好協会のアドバイザー会議、午後3時から青森ペンクラブ総会です。
今日の子規歳時は、「春の夜や寄席の崩れの人通り(明治28年、1895年)」です。
第38条〔不利益供述の不強要、自白の証拠能力〕
(1)何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
(2)強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
(3)何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
今日の魯迅箴言は、箴言365日の第312日目「しかしながら、文学をやる人間は、どうしても暇がなければいけない」です。
原文;
但做文学的人总得闲定一点,正在革命中,那有功夫做文学。我们且想想;在生活困乏中,一面拉车,一面「之乎者也」,到底不大便当。古人虽有种田做诗的,那一定不是自己在种田;雇了几个人替他种田,他才能吟他的诗;真要种田,就没有功夫做诗。
拼音;
訳文;
しかし、文学をやる人間には、どうしても暇がないといけない。革命の真っただ中では、とても文学をやっている暇なんかありません。ちょっと、考えてごらんなさい。生活に困って。車を引っ張りながら、「之乎者也(なりけり、ありや)」をやるのは、何と言ってもあまり都合がよくありません。古人には田を作りながら詩を作った人もありますが、その古人はきっと自分で田を作ったのではない。人を雇って田を作らせていたからこそ、彼らは詩を作ることができたのです。ほんとうに田を作っていた日には、とても詩をつくる暇なんかありはしません。