今日は5月9日、日曜日です。昨日は、県立図書館から戻り、机に向かっていましたが、急に眠くなり、5時に眠って、11時に起きました。MLBニュースを観て、12時から再び机に向かいました。6日に新報のほとんどを配り終え、その夜、7日のGEAの打合せのために徹夜した疲れが、8日になっても抜けないためでした。しかも、12日合併号の新報を6日と7日と8日で全部配り終え、7日朝に三内霊園で1時間以上もたって埋骨式に参列したのですから。
今日は9時に高校野球(母校の試合)を観に行き、10時からエンジェルスの大谷を観て、其の試合のあと、生協へ買い物に行きます。今日こそ、眠くならないことを祈ります。
今日の子規歳時は、「山々は萌黄浅黄やほととぎす(明治24年、1891年)」です。
第61条〔条約の承認と衆議院の優越〕
条約の締結に必要な国会の承認については、前条第2項の規定を準用する。
今日の魯迅箴言は、箴言365日の第334日目「およそ作者とは、」です。
原文;
凡作者,和读者因缘愈远的,那作品就就于读者愈无害。古典的,反动的,观念形态已经很不现同的作品,大抵即不能打动新的青年的心(但自然也要有正确的指示),倒反可以从中学学描写的本领,作者的努力。
拼音;
訳文;
およそ作者とは、読者とのつながりが遠ければ遠いほど、その作品は読者にとって無害となる。古典的で、反動的でもあり、しかもイデオロギー的にも、すでに新しくなくなっている作品は、若くてい活動的な青年の心をつかむことはできない。(作者の正確な指示こそ彼らにとって必要なのだが)作者の努力があれば、中学校でもその描写の本領を学ぶことすらできるのだから。