魯迅箴言日記 2021/07/05 夏休みの人と見えけり白鹿摺(明治29年、1896年) 

 今日は7月5日、月曜日です。7月1日に北狄395号が出来上がり、その日のうちに市内の同人に配り、2日に市外の同人に配り、メール便で送り、3日に出版社、新聞社、図書館等に全部送りました。午後から川柳の句会で相変わらず、平凡な句ばかりつくって投句しました。昨日4日の日曜日は、二階の書斎で早朝3時間かけて日課をやり、そのあと10時に生協へ行き、11時半に工藤さんを迎えに行き、街宣車三沢市役所へ行き、二カ所で街宣し、十和田、野辺地でも高沢さんに街宣してもらい、6時に帰宅しました。5日は、朝9時に青柳事務所で仕分けをしたあと、午後から新報を市内の読者、役所、事業所、団体、個人購読者に配り終えました。終わって、帰宅し、とり平に寄って、ハツを食べ家路につきました。夕食を食べ、9時に眠りにつきました。

 今日の子規歳時は、「夏休みの人と見えけり白鹿摺(明治29年、1896年)」です。 

 かのこ‐ずり 【鹿の子摺】

壁の凹んだ所を直すため、その部分だけまだらに漆喰しっくいを塗ること。
[広辞苑 第七版]

 おおはら‐とみえ 【大原富枝】 オホ‥

小説家。高知県生れ。高知女子師範中退。野中兼山の娘の数奇な運命を描いた「婉えんという女」で評価される。他に「地上を旅する者」など。(1912~2000)
[広辞苑 第七版]

 おおはら‐しげとみ 【大原重徳】 オホ‥

幕末・維新期の公家。京都生れ。1862年文久2)江戸に使し、幕政改革の勅諭を伝達。その後、反幕派として活動。維新後、参与・議定。大原三位。(1801~1879)
[広辞苑 第七版]

 おおはら‐まごさぶろう 【大原孫三郎】 オホ‥ラウ

紡績業者・社会事業家。倉敷生れ。早大卒。倉敷紡績などの社長。私財を投じ、大原社会問題研究所・倉敷労働科学研究所大原美術館などを設立。(1880~1943)
[広辞苑 第七版]

 おおはら‐びじゅつかん 【大原美術館】 オホ‥クワン

倉敷市にある美術館。1930年(昭和5)大原孫三郎が創設。洋画家児島虎次郎(1881~1929)が選定したエル=グレコなど西洋絵画を中心に、現代・中国美術・民芸なども収蔵。
[広辞苑 第七版]

 おおはら‐ゆうがく 【大原幽学】 オホ‥イウ‥

江戸後期の農村指導者。神道儒教・仏教に通じ、心学の影響をも受けて、下総香取郡長部村で独自の「性学」を教授。農村救済のために組織した先祖株組合は、農業協同組合運動の先駆。幕府の嫌疑を受け自刃。著「微味幽玄考」など。(1797~1858)
[広辞苑 第七版]

 はく‐ろく 【白鹿】

白色の鹿。びゃくろく。
[広辞苑 第七版]

 はくろく 【白鹿】

私年号の一つ。元年が1345年に当たる。
[広辞苑 第七版]