魯迅箴言日記 2021/09/30 名月や樅の木高き塀の内(明治32年、1899年)

 今日は9月30日、木曜日です。今朝は5時に起き、杉野土佐一賞の川柳の投句「変」2句の締切に間に合わせ、10月14日の一艘川柳教室の宿題もやって、さらに24日の裁判の準備書面、29日のビデオ撮りの資料「実効性のない六ヶ所再処理工場の避難計画」の整理をし、7時50分に家を出て、青柳の事務所に向かいました。

 工藤祐さんと二人で街宣車で下北に向かいました。野辺地、横浜を経由して、むつ市にはいり、近川の郵便局で土佐一賞の応募金を送金しました。川内、湯川温泉を通り、川目から佐井に入り、アルサスのまんじゅやでラーメンを食べました。この間、1日の佐井行きの予定のキャンセルの電話を2件(民宿みやのと竹内自動車)かけ、風間浦、大畑、むつを経て、横浜の道の駅で休憩し、ソフトクリームを食べ、野辺地、平内、浅虫、くぐり坂を流して、4時15分に若葉孔版に到着。斎藤さんと合流し、北狄296号250部を受取り、労金で4万円おろし、斎藤さんへ印刷代の後納分の4万円をしはらいました。そのあと古川の事務所でインターネットがつながるようにやってみましたが、つながりませんでした。電話回線とFAXの回線はつながりました。あとはインターネットだけです。