魯迅箴言日記 2022/06/12 刈残すニ畝の麦や梅雨に入る(明治31年、1898年)

 今日は6月12日、日曜日です。今日は生協の買い物の日です。10時から原告団の事務局会議、午後2時から気候変動の会議です。あとは北狄399号の原稿三昧です。

 今日の子規歳時は、「刈残すニ畝の麦や梅雨に入る(明治31年、1898年)」です。

畝;

①畑に作物を植えつけるため、間隔をおいて土を筋状に高く盛り上げた所。

②山脈・波などの小高く連なったところ。織物などにもいう

麦;イネ科に属するオオムギ・コムギ・ハダカムギ・ライムギ・エンバクなどの総称、また、その穀実。古来、食用・飼料として重要。茎も麦藁むぎわらとして、工芸材料・肥料などに用いる。「麦」「麦の穂」は夏、「麦の芽」は冬。万葉集(12)「馬柵うませ越しに―食はむ駒の」

梅雨;6月(陰暦では5月)頃降りつづく長雨。また、その雨期。さみだれ。ばいう。夏。「―に入る」「―が明ける」

 今日の魯迅箴言は、箴言120-45「大衆は、読書人ほど高い智識をもたない。」です。

 大众虽然知识没有读书人的高,

   但他们对于胡说的人们,

   却有一个溢法;绣花枕头。

   这意义,也许只有乡下人能憧的了,

   因为穷人塞在枕头里面的,不是鸭绒;是稻草。

   大衆は、読書人ほど高い智識をもたない。

 しかし、出まかせを言う輩には謚を捧げる術をもっている。

 いわく「刺繍の枕」。

 この意味は、おそらく田舎者にしかわかるまい。

 貧乏人が枕に詰めるのは、家鴨の羽毛ではなく、稲の藁なのだ。