魯迅箴言日記 2022/06/17 五月雨やよき硯石借り得たり(明治35年、1902年)

 今日は6月17日、金曜日です。今日は核燃裁判の日です。昨日は、北狄編集の仕事のほか、7月8日の日程の確認、北狄399号の四倉原稿、倉谷初校を送る。二校の責校作業。一艘教室宿題の投句。王味の餃子を食する会。今日は陰暦の5月19日です。

 今日の子規歳時は、「五月雨やよき硯石借り得たり(明治35年、1902年)」です。

 五月雨;(「さ」は「さつき(五月)」の「さ」に同じ、「みだれ」は水垂みだれの意という)

①陰暦5月頃に降る長雨。また、その時期。つゆ。梅雨。さつきあめ。夏。古今和歌集(夏)「―に物思ひをれば」。奥の細道「―をあつめて早し最上川

②( ①のように)途切れがちに繰り返すこと。「―式」「―スト」

 今日の魯迅箴言は、箴言130-50「古人が、書を読まねば愚人になると言ったのは、」です。

 古人说,不读书便成愚人,

    那自然也不错的。

    然而世界却正由愚人造成,

    聪明人决不能支持世界,

    尤其是中国的聪明人。

 古人が、書を読まねば愚人になると言ったのは、

 むろん誤りではない。

 だが世界は、まさにその愚人が造り上げたのであり、

 利口者は、けっして世界を支えることはできない。

 ――なかんずく中国の利口者は。