魯迅箴言日記 2022/07/01 夕間暮石鎚詣帰りけり(明治31年、1898年)

 今日は7月1日、金曜日です。今日は昨日の事務局会議で宿題となった、わんず解体のお知らせ文を支援者におくることになり、10時から午後6時までかかりました。「グレタ独りぼっち挑戦」の後援願いを教育厚生会へ持参しました。まだまだやることが山隅です。

 今日の子規歳時は、「夕間暮石鎚詣帰りけり(明治31年、1898年)」です。

 夕間暮れ;(「まぐれ」は目暗れの意)夕方うす暗くてよく見えないこと。また、その頃。夕ぐれ。源氏物語(若紫)「―ほのかに花の色を見て」
 石槌詣で;愛媛県東部、石鎚山脈の主峰。標高1982メートルで四国第一の高峰。面河おもご川が南流し、面河渓をつくる。修験道霊場石槌山天狗岳
 今日の魯迅箴言は、箴言130-64「中国人には、昔から尊大なところがある」です。

 中国人向来有点自大。

   ――只可惜没有「个人的自大」,

    都是「合群的爱国的自大」。

 中国人には、昔から尊大なところがある。

 ――ただ、惜しむらくは、そこに「個人の尊大」はなく、

 すべて、「集団的、愛国的な尊大」なのだ。