魯迅箴言日記 2022/07/21 なまじひに生き残りたる暑哉(明治28年、1895年)

 今日は2022年7月21日、私の73歳の誕生日です。思えば永く生きてこられたものです。あとどれだけ余命があるのかわかりませんが、淡々と生きていくつもりです。

 今日の子規歳時は、「なまじひに生き残りたる暑哉(明治28年、1895年)」です。

 なまじ;ナマジイの約。主に副詞として用いる。浄瑠璃、凱陣八島「―付かずは付かぬまでよ」。泉鏡花、眉かくしの霊「―紹介状があるだけに、喧嘩面で、宿を替へるとも言はれない」。「―の学者より物知りだ」
[広辞苑 第七版]

 なまじい;(「生強い」の意。清音にも)①できそうもないことを無理につとめるさま。万葉集(4)「物思ふと人に見えじと―に常に思へりありそかねつる」②すべきでない、またはしなくてもいいことをするさま。なまじっか。源氏物語(若菜下)「―にゆるされたてまつりて」。太平記(11)「―なる軍していふ甲斐なく敵の手にかかり」③深く心を用いないさま。うかつ。かりそめ。中途半端。なまじっか。古今著聞集(16)「―に鬢かきあげて供奉しけり」。徒然草「よくせざらん程は―に人に知られじ」
[広辞苑 第七版]

 今日の魯迅箴言は、箴言130-84「野牛は家畜牛に、猪は豚に、狼は犬になって…」です。

 野牛成为家牛,野猪为猪,狼成为狗,野性是消失了

,但只足使牧人喜欢,于本身并好处。

    人不过是人,不再jia杂着别的东西,当然再好没有了。

    倘不得已,我以为还不如带些兽性,

    如果合于下列的算式倒是不很有趣的;

    人+家畜性=某一种人。

 野牛は家畜牛に、猪は豚に、狼は犬になって野生は失われた。

 だがそれは牧人を喜ばせたにすぎず、

 動物自身にはなんのいいこともなかった。

 人は人にすぎず、混ざりけなしでいられるに越したことはない。

 しかしそれが叶わぬなら、いくらかの獣性を帯びるほうがまだましだと思う。

 次のような算式にあてはまるようでは、興醒めである。

 人+家畜性=ある種の人間