魯迅箴言日記 2022/07/29 君を送りて思ふことあり蚊帳に泣く(明治30年、1897年)

 今日は7月29日、金曜日です。今日は、津島自動車に街宣車を持っていき、修理可能かどうか調べてもらいました。結果は可能とのこと。17日に持っていくことを約束しました。12時半に広瀬さんと辻製麵に行き、1時半から3時半まで県民エナジーの会議、3時半から5時まで仕事、5時からアウガへ映画のポスター持参、5時半から新報配布、6時半から党員集会、9時に帰宅しました。

 今日の子規歳時は、「君を送りて思ふことあり蚊帳に泣く(明治30年、1897年)」です。

 蚊帳;蚊を防ぐために吊り下げて寝床をおおうもの。麻布・絽ろ・木綿などで作る。かちょう。夏。伊藤左千夫、紅黄録「―の釣手は三隅だけはづして」
[広辞苑 第七版]

 今日の魯迅箴言は、箴言130-92「私もかつては、いまの青年たちと同様に、」です。

 我也曽有如现在的青年一样,

    向已死和未死的导师们问过应走的路。

    他们都说;不可向东,或西,或南,或北。

    但不说应该向东,或西,或南,或北。

    我终于发見他们心底是的蕴蓄了。

 私もかつては、今の青年たちと同様に、

 すでに亡くなった、あるいはまだ亡くなっていない指導者たちに、

 歩むべき道を訊ねたものだ。

 彼らはみなこう言った。

 東、あるいは西、あるいは南、あるいは北に向かってはならない、と。

 しかし東、あるいは西、あるいは南、あるいは北に向かうべきだ、

 とも言わなかった。

 私はようやく、彼らの腹の底にある蘊蓄を発見した。

 それはただ、「行くな」ということだった。