魯迅箴言日記 2022/08/02 朝顔や我に写生の心あり(明治35年、1902年)

 今日は、日課、新報配布、会議で1日があっという間に終わりました。体重は減っていませんが、新報配布も腰の具合がだいぶらくでした。会議が終わり、ミズの1本づけを賞味し、天ぷら堤へ寄って天巻き(1000円)を食べ、とり平に寄って帰りました。ねぶたが始まりました。人出もすくなく、囃子も心なしか静かです。追い打ちをかけるように小雨まで降りました。

 今日の子規歳時は、「朝顔や我に写生の心あり(明治35年、1902年)」です。

 朝顔;①朝、起き出たままの顔。寝起きの顔。あさがたち。枕草子(259)「寝くたれの―も、時ならずや御覧ぜん」②(朝咲く花の意とも、朝の容花かおばなの意ともいう)ヒルガオ科の蔓性一年草。熱帯アジアの原産で、日本には中国から渡来し、江戸後期に園芸植物として改良発達した。広義に別種のアメリアサガオを含める。茎は左巻き。夏、葉の付け根にラッパ形の大きな花をつける。品種が多く、花色は白・紫・紅・藍・縞・絞り、また形も獅子咲きなど変化に富む。種子の色も黒・茶・白などあり、漢方生薬の牽牛子けんごしとして利尿・下剤。秋の七草にいうアサガオは別植物。しののめぐさ。鏡草。牽牛花。蕣花。秋③キキョウの古名。〈新撰字鏡(7)〉④ムクゲの別称。〈類聚名義抄〉⑤ヒルガオの別称。⑥カゲロウ(蜉蝣)の古名。⑦襲かさねの色目。表裏とも縹はなだ色。9月に着用。(桃華蘂葉)⑧源氏物語の巻名。光源氏朝顔前斎院への執着を描く。槿あさがお。⑨漏斗の形をしたもの。㋐男の小便用の便器。㋑bosh)溶鉱炉(高炉)の部分名称。上部から装入された鉱石などが溶解して溶銑とスラグとなり、湯だまりに降下する場所。熱風を送入する羽口はぐちはこの直下に開く。
[広辞苑 第七版]

 今日の魯迅箴言は、箴言130-96「子どもには他人の教えが必要であり、」です。

 孩子是要别人教的,

    毛病是要别人医的,

    即使自己是教员或医生。

    但做人处世的法子,却恐怕要自己斟酌,

    许多别人开来的良方,往往不过是废纸。

 子どもには他人の教えが必要であり、

 病人には他人の治療が必要である。

 ――たとえ、自分が教師や医者であっても。

 しかし、人として世を渡ってゆくには、自分で思案し処置するほかはないだろう。

 他人が示してくれるあれこれの処方箋は、往々にしてただの紙屑にすぎない。