魯迅箴言日記 2022/08/17 小硯に金泥かわく夏書哉(明治30年、1897年)

 今日は8月17日、水曜日です。今日は新報を配達する予定ですが、その前に日課をやり、一階の自室の整理と断捨離を完成させます。コロナはほぼ完全に治りました。体重は86.2Kg、酸素は98.7、体温は36.3℃です。腰が少し、ぎっくり腰の前兆のようですが、だいぶよくなりました。それにつけても、本が重いのがよくわかりました。今日から、普段の生活にもどしたいものです。

 今日の子規歳時は、「小硯に金泥かわく夏書哉(明治30年、1897年)」です。

 小硯;小形の硯。箱に入れて懐中して用いるものもあり、懐硯ふところすずりという。平家物語1「懐より―畳紙を取り出し」

 金泥;にかわをといた水に金粉をまぜたもの。書画を書くのに用いる。こんでい。「紺紙―」

 夏書;夏安居げあんご中、経文を書写すること。また、その書写した経文。〈[季]夏〉

 今日の魯迅箴言は、箴言130-111「今なにが必要かを問わずともよい、自分になにができるかを問うことです。」です。

 不必向现在要什么,只要向自己能做什么。

 今なにが必要かを問わずともよい、自分になにができるかを問うことです。