魯迅箴言日記 2022/11/20 畑の木に鳥籠かけし小春哉(明治30年、1897年)

 今日は11月20日、日曜日です。昨日から県連合のホームページの更新ができるようになりました。実にコロナ感染以来です。これで、日課のほか、ブログが3つに、県連合ホームページの更新が日課に加わりました。これに、GEAのホームページの更新が古川の事務所でできるようになれば、万全です。

 今日の東奥柳壇で1句が佳作に選ばれましたが、俳壇のほうは相変わらず没でした。

 今日は、朝に町会有志によるカラオケ、テレビ会議を午前中にこなし、午後は弘前での統一教会問題の有田芳生の講演会、吉村さん宅訪問、成田先生宅へ酒の届け、青柳事務所に新報を取りに寄りました。新報はありませんでした。土曜日に届かなかったようです。どうしたものでしょうか。23日号は勤労感謝の日で休刊なのかもしれません。

 今日の子規歳時は、「畑の木に鳥籠かけし小春哉(明治30年、1897年)」です。

 子規庵の庭の畑にある木に鳥籠をかけて子規がそれを眺めている小春日和の秋です。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-56「科学は中国文化の不足を補うに足らぬばかりか、」です。

 科学不但并不足以补中国文化之不足,

    却更加证明了中国文化之高深。

    风水,是合于地理学的,门阀,是合于优生学的,

    炼丹,是合于化学的,放风筝,是合于卫生学的。

   「灵乩」的合于「科学」,亦不过其一而已。

 科学は中国文化の不足を補うに足らぬばかりか、

 中国文化が高く深いことをさらに証明してくれる。

 風水は地理学に、門閥優生学に、煉丹は化学に

 凧揚げは衛生学にぴったり合う。

 「神のお告げ」が「科学」に合致するのも、またその一つにすぎない。