魯迅箴言日記 2023/05/05 二村の凧集まりし河原かな(明治29年、1896年)

 今日は5月5日、金曜日ですが、子どもの日祝日です。端午の節句の今朝は、午前2時に起きました。ちょっと肌寒い感じがして、牛乳を温めて飲みました。夜半に雨が降ったように感じましたが、今は薄曇りの状態です。今日は朝のうちに、日課とブログの更新を終えて、10時に家を出て、よさこい祭り(新町)を見て、11時前には青柳事務所に行きます。東子さんが釧路から戻ってきているそうで、ほぼ半年ぶりに、顔を見せに来ることになっています。旦那さんが入院したとの去年の知らせに驚いただけに、元気に二人で帰省したとの知らせに安心したのでした。連休も今日も含めてあと三日です。大事にすごしたいものです。

 昨日は寺山修司の40回目の命日ということで、三沢の記念館まで行ってきました。三上博史のライブに間に合わず、入り口で受け付けも終了ということで、館長に来ていたことの言伝をたのんで、記念館のまわりを眺めただけで帰りました。館のまわりには、マーケットや出し物の終う若者が十数名ほど立ち働いていました。館内のライブには2百人が入場しているらしく、駐車場に車があふれていました。寺山さんの人気はすごいものでした。佐々木英明館長とは結局会えずじまいでしたが、記念館の盛況ぶりに、栄明君も相変わらず頑張っているなと感じて、気持ちよく帰路についたのでした。

 今日の子規歳時は、「二村の凧集まりし河原かな(明治29年、1896年)」です。ここで本来、凧上げは、集落同士の対抗戦として競い合われた大人の遊びだったようです。「二村の凧」とは、内子町の豊秋河原で行なわれる大凧合戦のことと思います。

 今日の魯迅箴言は、箴言365-17「人にはかならず欠けたところがあり、」です。

 人必有所缺,

    这才想起起他所需。

    人には必ず欠けたところがあり、

 それによってようやく、

 何が必要なのか、思いいたるのだ。