魯迅箴言日記 2026/06/12 刈残すニ畝の麦や梅雨に入る(明治31年、1898年)

 今日は6月12日、金曜日。9時事務所。18時30分帰宅。

 今日の子規歳時は、「刈残すニ畝の麦や梅雨に入る(明治31年、1898年)」です。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-121「散文の体裁は、じつは自在に書けばいいのであって、」です。

 散文的体裁,其实是大可以随便的,有破绽也不妨。

    做作的写信和日记,恐怕也还不免有破绽。

    而一有破绽,便破灭到不可收拾了。

    与其防破绽,不如忘破绽。

 散文の体裁は、じつは自在に書けばいいのであって、

 破綻があってもかまわない。

 作為的に書いた手紙や日記も、おそらく破綻は免れず、 

 一度破綻すれば、収拾不能なほどに壊れてしまうだろう。

 破綻を避けようとするより、破綻を忘れるほうがいい。

魯迅箴言日記 2026/06/11 静けさに螢飛ぶなり淵の上(明治29年、1896年)

 今日は車のナビの修理。完璧に直る。無料。新報会計。

反核実行委の会計整理。昼食。ラサール石井の7月24日、25日のスケジュール管理。北狄415号の校正。境沢、高畑、未津、青柳。

 今日の子規歳時は、「静けさに螢飛ぶなり淵の上(明治29年、1896年)」です。

 明治16年6月10日に三津浜から乗船した子規が東京に着いたのは14日だった。神戸から横浜までも汽船便だった。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-120「『白描』にまったく秘訣はない。」です。

 「白描」却并没有秘诀。

    如果要说有,也不过是和障眼法反一调;

    有真意,去粉饰,少做作,勿卖弄而已。

 「白描」にまったく秘訣はない。

 あるとすれば、ただ人の目をごまかすのとは逆の方法である。

 真意をこめ、粉飾を捨て、作為を減らして、見せびらかさない。

 ただそれだけである。 

魯迅箴言日記 「単物飄然として郷」を出づ(明治31年、1898年)」

 今日は6月10日、水曜日。今日は早朝街宣。生協の日。それに、水曜会。ゆうちょダイレクトの整理。福島みずほ党首の来青日程確認。ホームページの更新。

 今日の子規歳時は、「単物飄然として郷」を出づ(明治31年、1898年)」です。

 子規は明治16年6月8日、別離の宴を開き、10日、船で上京する。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-119「人は寂寞を感じるとき、創作に向かう。」です。

 人感到寂寞时,会创作;

    一感到干净时,即无创作,

    他已经一无所爱。

    创作总根于愛。

 人は寂寞を感じるとき、創作に向かう。

 心がすっきりすると、創作意欲はなくなる。

 彼はすでに愛するものがないのだ。

 捜索はすべて愛に根ざしている。

    

魯迅箴言日記 2026/06/09 蓁蓁たる桃の若葉や君娶る(明治29年、1896年)

 今日は6月9日、火曜日。車の装備。街宣車道路使用許可。新報会計から一般会計へ繰り出し。青ペン会費等(木村、鎌倉)。福島党首8月10日来青。その他。

 今日の子規歳時は、「2026/06/09 蓁蓁たる桃の若葉や君娶る(明治29年、1896年)」です。

 漱石は、明治29年、6月9日、熊本で鏡子夫人と結婚式をあげた。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-118「創作は難しいものである。」です。

 创作难,

    就是給人起一个称号或诨名也不易。

    假使有谁能起颠扑不破的·诨名的罢,

    那么,他如作评论,一定也是严肃正确的批评家。

    倘弄创作,一定也是深刻博大的作者。

   創作は難しいものである。

 人に称号や渾名をつけるのさえ容易くない。

 たとえば誰か、ぐうの音も出ないような渾名をつけることのできる人がいるとしたら、

 彼が評論すれば、必ず厳しく的確な批評家となるだろうし、

 なお創作をを手掛ければ、必ず豊かで味わい深い深い作者となるだろうと。 

 

魯迅箴言日記 2026/06/08 歌書俳書紛然として昼寝かな(明治29年、1896年)

 今日は6月8日、月曜日。雨。9時事務所、4時、企画会議。終日、残務整理。

 今日の子規歳時は、「歌書俳書紛然として昼寝かな(明治29年、1896年)」です。

 子規は、「人より余計に働いて僅かの給金をもらう」ことを意としなかった。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-117「同様に、読者を難なく迷路に引き込むのは『抜粋』である。」です。

 还有一样最能引读者入于迷途的,是「摘句」。

    它往往是衣裳上撕下来的一块绣花,

    经摘取者一吹嘘或附会,说是怎样超然物外,与尘浊无干,

    读者没有见过全体,便也被也他弄的迷离惝恍。

 同様に、読者を難なく迷路に引き込むのは「抜粋」である。

 それはほとんど、まるで衣装から引き裂かれた刺繡の花模様のようで、

 引き裂いた者がひとたび誇張し、こじつけて、

 その花がいかに超然として俗塵にまみれていないかを説けば、

 読者は全体を見渡せずに、翻弄されて煙に巻かれることになる。

 

 

 

魯迅箴言日記 2026/06/07 夏痩や枕にいたきものの本(明治28年、1895年)

 今日は6月7日、日曜日。7時起床、「笹田一緒にやるべし」再開。故郷の現状を書くことに。昼、正嵐で成田先生。5時、工藤、笠島、木村さんと弁慶の4階。あとは執筆。尻に火がついた。

 今日の子規歳時は、「夏痩や枕にいたきものの本(明治28年、1895年)」です。

 子規は貧しい家計の中から本はよく買って読んだ。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-116「選集がはっきり示すところは、」です。

    选本所显示的,往往并非作者的特色,倒是选者的眼光。

    眼光愈锐利,见识愈深广,选本固然愈准确,

    但可惜的是大抵眼光如豆,抹杀了作者真相的居多,

    这才是一个「文人浩劫」。

 選集がはっきり示すところは、往々にして作者の持ち味ではなく、

 むしろ選者の眼光である。

 眼光が鋭いほど、見識が深く広いほど、選集はいよいよ適確になる。

 だが惜しいかな、たいていの眼光は豆粒ほどに小さく、

 作者の真の姿を抹殺してしまうことが多い。

 これぞまさに、「文人の大厄」である。

 

 

 

魯迅箴言日記 2026/06/06 蚊をたたくいそがはしさよ写し物(明治26年,1893年)

 今日は6月6日、土曜日。6時5分起床。小雨、八甲田はすっきりしていたが、頂上付近に雲が降りる。今日は原告団の事務局会議ZOOM。おかじょうき句会、宿題3句3点、席題1句1点。懇親会弁慶丸4000円。

 今日の子規歳時は、「蚊をたたくいそがはしさよ写し物(明治26年,1893年)」です。少年時代の子規は、貸本をむさぼり読み、名文があると丹念に筆写した。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-115「本業に関わるものは、」です。

 有关本业的东西,是无论怎样节衣缩食也应该购买的,

    试看绿林强盗,怎样不惜钱财以买盒子炮,就可知道。

 本業に関わるものは、たとえ衣食を削ってでも、買う必要がある。

 これは山賊がいかに銭金を惜しまずに

 モーゼル拳銃を買うかをみれば、すぐわかるでしょう。