中野孝次の「清貧の思想」

 ドイツ文学者で作家の中野孝次は、「清貧の思想」という本を書いている。中野はおそらく孔子の「論語」に学び、「清貧のすすめ」を説いたのだろう。
 この本がでたのが1992年のことだから、93年の頃だろうが、小学校のクラス会の時に、「貧乏でもいいから家族と仲良く暮らせればいい」と言った私に対し、路明夫は「自分は貧乏ではなく、清貧が理想だ」といつもより強い口調で話したのを覚えている。
 「論語」の学而14に、「子曰く、食は飽くを求むるなく、居は安きを求むるなし。事に敏にして言に慎しみ、有道に就いて正す。学を好むと謂うべきなり」という章がある。
 これを中野孝次は次のように訳している。
 孔子さまが言った、「君子たる者、食事は美食・飽食を求めない、住居は安楽・快適を求めない。せねばならぬことは敏活に行い、物言いは慎重にする。すぐれた人物について批判を仰ぐ。こういう人がいたら、学を好む人だと言っていい」
 同じく、学而15では次のように説いている。
 「子貢曰く、貧しくして諂うことなく、富みて驕ることなきは如何。子曰く、可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富あってみて礼を好む者には若かざるなり。子貢曰く、詩に「切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し」と云えるは、それ斯の謂か。子曰く、賜や、始めて与に詩を言うべきなり。諸れに往を告げて、来を知る者なり」
 つまり、中野訳はこうだ。
 子貢がたずねた、「貧乏でも卑屈にならず、金持ちになっても驕らない。そういう人物はどうでしょう」孔子さまが言った、「いいだろう。しかし、貧乏であっても道を楽しみ、金持ちになっても礼を好む者には及ばないな」子貢が言った、「詩に『切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し』というのは、このことをいうのでしょうか」孔子さまが言った、「賜よ、これでようやくおまえと一緒に詩を語れるというものだ、一を教えれば十を悟るのだから」

 路が亡くなって、七年半。孔子論語を読んでいて、いままた、「清貧のすすめ」を思い出し、路の語った真意に思いをめぐらせてみた。路はどうして、自ら語った「清貧」を実行・実践もせず、いやしたのかもしれないが、なぜ道半ばの十一年後に自ら命を絶ったのだろうか。しかも、あの城ヶ倉大橋から峡谷に身を投じて、骨と血肉を粉々に砕けさせるなんて。そう思うと、何故か涙が止まらない。
 路は最後の最後まで、私に絶対できないことをやり遂げて先に逝ったのだ。あとに遺されたものの寂しさ、哀しさを省みることなく。