「小説を書こう」講座が青森中央学院大学で最終回

 1月20日は記念すべき日となった。青森中央学院大学の「小説を書こう」講座の最終回の宮園功夫講義の日だ。その日、午後5時前に駅前で合流した私と佐々木英明は、宮園氏とともに八甲田山の麓の大学へタクシーで直行。受講生は年があらたまったせいか、20人弱であったが、聴講生は前任の三人の講師(私、壬生、英明)とともに藤川幸治、三野亜沙子、千葉由紀子、それに斎藤光子の諸氏らでスタッフも含めると30人だった。
 この日、宮園氏は前筑摩書房取締役、現海竜社編集部長、さらには詩人宮園真木として、宮沢賢治の手帳、太宰賞応募作の生原稿、井上ひさしの生原稿、開高健の「文章マグナカルタ」、太宰治の「斜陽」が載った文芸誌「新潮」(昭和22年刊)、筑摩書房の校正要綱、三島由紀夫賞谷崎潤一郎賞川端康成賞授賞式・日本芸術家協会・日本ペンクラブ会員証、などを示しながら、現在の海竜社での出版・編集の仕事を紹介しながら、受講生の提出した小説14編を一作ずつ、丁寧に評価をし、最優秀作を選んだ経緯を話して、いい小説を書いて送ってほしいと訴えて、講演を終えた。
 講演が終わり、こんどは場所を駅前に移して、詩人宮沢真木を囲んでの打ち上げ懇親会を催した。参加したのは、真木、英明、壬生、私に、大学の加藤・塩谷教授、それに藤川、三野、千葉の9人。8時50分から11時過ぎまで、生ビール、マッコリ、二階堂焼酎、日本酒、ノンアルコールビール、ウーロン茶などで喉をうるおし、腹いっぱい食べて、にぎにぎしく語り合った。
 そのあとは、藤川の案内で太宰の「思い出」にでてくる「赤い絲」で二次会。参加したのは、藤川、真木、壬生、英明に私の五人。還暦アフターの5人は、こんごの人生最終章の展開をそれぞれ表明して、「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし」夜の街に思い思いの夢を秘めて消えた。