才能のなさを嘆くな

 昨日、9条の会に遅れて参加した。雪のためバスが来ないのと、家を出るのが遅かったせいで、だいぶ遅刻した。真向かいに座っていたのが北野岸柳さんだった。すこし痩せたが、だいぶよくなったようだ。やさしい笑顔をみせてくれた。21日の午後、蟹田を訪問すると申し出て、許可された。その岸柳さんと20年ほど前、徳島の夜の街をさまよい歩いたのを思い出した。あの頃は、お互いに本当に元気だった。
 その前日にも、元上司の三浦賢伍さんにも出会った。彼もいたって元気で、病気が逃げっていったかのようである。一昨年の12月、彼の病気が案じられて、中国から帰国する一つのきっかけともなった。
 今日の晩6時から、中央市民センターにおいて、さよなら原発3.11青森県集会の実行委員会がある。明日は、午後一番で青柳隼人さんと面会日だ。約束の北狄、忘れないようにしなくては。
 あさっては、青森中央学院大学の「小説を書こう」講座の第4回講座だ。今回の講師は宮園功夫氏。さっそく、藤川幸治君が聴講希望を申し出てきた。ついでに、懇親会にも参加したいときた。
 講座が終わった後、ささやかな打ち上げをやることにした。講座も楽しみだが、打ち上げの宴には、佐々木英明と古川壬生も加わるのでささやかとはいかなくなるはずだ。
 21日は吉田和平さんの見舞いに行くことにしたし、午後には岸柳氏にも会いに行く。そして夕方から、大鰐で茶話会の新年会だ。会には県議1名、市議が2名いるが、もとはふつうの自治体労働者。あとはいずれもいまは退職者と現役の労働者。したがって、22日の日曜日しか休養に当てられない。
 23日は遙の例会、24日が憲法の学習会、25日は18日が延期となった水曜会の例会、26日は市庁舎の見学会、27日は市庁舎研究会と核燃いらない市民の会が重なった。28日は原告団の会議で八戸に行かなくてはならない。いまのところ29日から31日は落ち着いて家にいられそうだ。
 こんな具合で、文学以外の会合を一切やめるのはいつになるのだろうか。まず、お金がかかる宴会参加を少なくすることから始めようと思う。しかし、20日の小説講座の打ち上げ、21日の茶話会、23日の遙、この三つはいたしかたない。自重しなければならないのは、金だけではない。時間を無駄にはできないからだ。
 2月には遙と北狄の締切がある。もう準備を始めなければならないのだ。少なくとも23日に中国へ行く前に書きあげなければと思うと焦りさえ生まれてくる。まずは、1月はあと残り14日、一日一日を大切にしていこうと思う。