孔子と魯迅に学ぶ日々

 竹内好に中国語と魯迅について学ぶように諭されて40年が経ち、ようやく魯迅生誕130年の去年から中国語と魯迅に向き合えるようになった。
 私は一昨年、還暦を機に偶然の縁で、中国の長春の大学へ日本語教師として四カ月余赴任する機会を得た。一週、十コマの授業とその準備、8人の四年生の卒論の指導に追われて中国語の勉強と魯迅博物館をはじめとする文化財にふれることはできなかった。キャンパスの中にあって、宿舎と教室の往復だけであった。帰国を決めた十二月に大連と哈尓濱に週末旅行したぐらいで、あとはどこにも行かなかった。行けなかったと言ってもいい。
 長春から戻って中国とは縁が切れるかと思ったが、そうもいかなかった。加藤嘉一の本を読みたいという友人の依頼で、加藤嘉一の中国語の本を私の教え子の協力を得て日本語に直してみた。まったくの素人訳だったが、中国語になじむことができた。文意を損なわない範囲で、自分の文体をつくる修練を積むことができ、日本語の勉強にもなったような気がした。去年一年で、加藤嘉一の中国語の本を三冊読むことができた。
 次は孔子だった。孔子の生涯を「論語」をもとに書いた小説を今年の三月にも単行本として出版したいという企画が去年からあり、それに協力することになった。500頁にも及ぶ大作の原稿のゲラ刷りを丹念に読む機会を与えられた。付随する本を五冊以上も購入して、間違いがないか調べた。10月から三カ月ほどの期間、これにかかりきりになった。そうしているうちに、孔子に惹かれ、論語に教えられたりもした。
 中国時代の教え子が四年生になり、卒論で魯迅をとりあげたいと相談してきた。魯迅はわけあってたくさん読んできた。それも折にふれ読むだけで、とても真面目に、集中的にというわけではなかった。中国語の勉強と合わせ、魯迅の原文をきっちりと読むときがきたように思った。それで、魯迅箴言から始めることにした。
 そんなわけで特に今年に入ってからは、孔子魯迅に学ぶ日々が続いている。