酸ケ湯温泉と城ヶ倉大橋

 日曜日の午後、東京の友人夫婦と酸ケ湯温泉に行った。暮れからの大雪が峠を越え、三日ほど前から風は冷たかったが天気がよく、特に昨日は風もなくめぐまれた雪回廊見物日和だった。カバは三日連続で友人と会うことになったが、昨日はそのシメの小旅行だ。最初は友人と二人でということだったが、友人の夫人も同行することになった。夫人の方は、実は私と高校同期で、私の女房の親友でもあり、旧知の間柄だ。あまり、気にしなくてもいいので、同行は嬉しい限りだった。私の女房が仕事で行けないのが残念であった。
 八甲田の山肌は白く、冬のブナの樹が「東山魁夷の世界」を連想させた。雪の回廊は、酸ケ湯温泉から先がみごとなのだが、八甲田ロープウェイの付近では、雪の回廊も連峰の冬山の佇まいが手にとれるくらいの高さでちょうど良かった。
 冬で店が閉まっていて、冬山の八甲田パトロール隊の休憩小屋となっていた萱野茶屋を経由してまっすぐ酸ケ湯温泉へ。駐車場の空いていたスペースに車を停めたのがちょうど午後2時。千人風呂ひとり600円。玉の湯のみ300円。1500円は友人の夫人が払った。昼食時の混雑がひと段落したあとらしく、温泉の中も、千人風呂前のロビーもいつもより静かで、人もすくなかった。
 売店で萱野茶屋の麦茶を買った友人の夫人は、一袋を私の女房へと土産にくれた。この茶をのめば一杯で一年、二杯で十年長生きでき、三杯で死ぬまで長生きできるという茶である。私は十年は長生きしたいので毎日二杯ずつ飲むことにする。そのとき、ふと中庸ということを考えた。度が過ぎると元も子もないということだ。一杯じゃ、効き目がはっきりしない。
 仙人風呂に30分浸かった。千人風呂には、百人どころか、十人ほどしか入っていなかった。友人は打たせ湯に直行し、私は四分六分の湯に。ゆったりと湯に肩まで入って、温まると踏み段に腰かけて腹まで浸かった。三十秒もすると肩が冷える。クシャミが出そうになる前にもう一度肩まで入る。それを何回繰り返したことか。眼鏡をかけ、頭に手拭を載せた私の首まで湯に浸かった格好はまさに肥えた老河童にみえるだろうなと自分ながらおかしかった。
 この間、四分六分の湯に入ってきた女性はひとり。頭と胸部、そして下腹部をタオルで覆っていた。歳の頃、三十代後半とみた。となりに四十代の男がいて、小声で話をしているが、聞き耳を立てても聞き取れなかった。
 深い浴槽から足を抜くとき、ふらふらしたほど長く温泉につかっていた。腰から下はぶよぶよの豚にでもなった感覚だった。
 仙人風呂からあがって、酸ケ湯温泉の食堂に行って、そこで雲谷蕎麦を食べた。10月に二度来た時は、満員で立ち待ちの客もいたのに、珍しく客が少なかった。雲谷蕎麦はつなぎが入っていないので、すぐ切れて、しかも細い麺なので歯切れがとてもいい。汁もうまい。別に注文した味噌生姜おでんもうまかった。
 3時50分に温泉を出て、城ヶ倉大橋を渡って、そこから黒石にでて、高速道路で新青森駅まで友人夫婦を送ることになった。
 酸ケ湯温泉から5分ほどで城ヶ倉大橋に出た。私は勿論、路明夫の霊に心で手を合わせるつもりだったが、友人と夫人は何も言わなかった。橋の中央からすこし黒石よりのところで、車を停めた。そして、外の空気を吸いたいと友人が降りたので、私も一緒に降りてみた。
 渓谷は北側の橋の歩道が雪で足を踏み入れられなかったので見ることはできなかった。驚くなかれ、車道の端から、橋の上方左に岩木山がくっきりとその姿を現していたのだ。山頂と両脇の小山がはっきりと稜線を裾野の先まで伸ばしていた。こんな岩木山をみたのは初めてだった。中央には下湯ダムの嶺が覆い、その右方にむつ湾が弓張り状の曲線で群青色の海を包んでいた。白い屋根雪に被われた青森市街もはっきりと見て取れた。「さようなら、路君」と心の中で叫んで、私は車に戻った。
 黒石に入って、石名坂で見上げた岩木山もみごとな姿だった。裾野から頂上までがまるで薄い霞が層状にたなびいて心和む景色だった。高速道路はすっかり路面が除雪されていて、左方に見える岩木山が私たちを見守っているようにも思えた。
 私は4時49分に新青森駅南口に車を停め、友人夫婦と別れた。