さて、今日はしばらくぶりの論語の勉強です。竹川弘太郎さんの『漂泊の哲人 孔子』の本を開くのも10日ぶりとなりました。
「論語」のなかの子罕(しかん)第09篇につぎの章があります。
(09-27); 「子曰。衣敝縕袍。與衣孤貉者立。而不恥者。其由也與。不忮不求。何用不臧。子路終身誦之。子曰。是道也。何足以臧。」
これの読み下し文は、こうです。
「子(し)曰(いわ)く、敝(やぶ)れたる縕袍(おんぽう)を衣(き)、孤貉(こかく)を衣(き)たる者と立ちて恥じざる者は、それ由なるか。忮(そこな)わず求めず。何を用(も)って臧(よろ)しからざらん、ということあり。子路(しろ)終身これを誦(しょう)す。子(し)曰(いわ)く、この道や、なんぞもって臧(よ)しとするに足らん。」
これの金谷治岩波文庫『論語』の日本語訳はこうです。
「先生がいわれた、『破れた綿入れの上衣を着ながら、狐や貉の毛皮を着た人といっしょにならんで恥ずかしがらないのは、まあ由(子路)だろうね。』と。さらに、『害を与えず求めもせねば、どうして良くないことが起ころうぞ。』とつづけた。子路は生涯それを口ずさんでいた。先生はいわれた、『そうした方法ではね、どうして良いとといえようか。』と(子路を)励ました」
この章は、宇野哲人の解説によれば、「孔子が子路の貧富を心に留めないことを称美しつつも、それに甘んずることなく、さらに激励して前に進ませようとしたもののようである。
ここで、孔子は悪衣悪食を恥じるのが学者の大病であるとし、善心を失うのはまさにこれによるとしている。子路の志がこのようなのは、遠く常人には勝っている。しかし、常人ではこれができれば善といわれるが、子路のような賢者はここに止まっていてはいけない。
終身これを勝するのは日にその徳を進める方法ではない。故に孔子が(子路を)激励して、これを前に進ませようとしたのです。