今日の論語一日一章「子食於有喪者之側、未嘗飽也」

今日は7月15日海の日の祭日です。円は99円20銭台です。天気はうす曇りで涼しい風がやわらかく吹いています。今朝も6時前に起き、30分散歩してきました。町内の人は早起きが多いです。
今日の論語一日一章は、第7篇「述而第七」の第9章「子食於有喪者之側、未嘗飽也」(子喪ある者の側らに食すれば、未だ嘗て飽かず)です。
これの原文はこうです。
「子食於有喪者之側、未嘗飽也。子於是日哭、則不歌。」
また、読み下し文はこうなります。
「子喪ある者の側らに食すれば、未だ嘗て飽かず。子是の日に於て哭すれば則ち歌はず。」
つぎに、中国語簡体表記はこうです。
「子食於有丧者之侧,未嘗饱也。子於是日哭,则不歌。
 Zi shí yú yǒu sàng zhě zhī cè, wèicháng bǎo yě. Zi yúshì rì kū, zé bù gē。」
ここで、この章の日本語訳はこうなります。
孔子が喪のある者の側で食事をする時には、哀しみのため、いつでも十分食べたことはなかった。孔子は人を弔って哭泣すれば、その日の内は心に哀しみが忘れられないで、自然歌など歌うこともなかった。」
さらに、語句・語彙の解説はこうです。
是の日;喪を弔う日をさします。
哭する;喪を弔って大声で泣き哀しむことです。
この章は、門人が孔子の死を哀しむ情のことを見(あらわ)したものです。
食に飽かないのも、哀しみの情から自然にそうなるものなのです。謝良佐は、「学者はこの二つの事柄で聖人の情性が正しいことを知るがよい。聖人の情性を識って後、初めて道を学ぶことができる」といっています。