今日の論語一日一章「自行束脩以上、吾未嘗無誨焉」

 今日は7月13日です。朝7時半に起き、地区共済会の研修旅行で外ヶ浜町三厩竜飛岬に在る小水力発電所の見学と海底トンネル記念館を見て、さらに今別の高野崎から袰月海岸を見下ろし、平舘の不老不死温泉で昼食休憩入湯して帰りました。「陽コあだね村」(高木恭造)の袰月の浜の穏やかな海の色の美しさは近年にないマリンブルーの色合いでした。それだけ見ただけでも、このバス旅行は収穫でした。

 さて、今日の論語一日一章は、第7篇「述而第七」の第7章「自行束脩以上、吾未無誨焉」(束脩を行ふより以上は、吾未だ嘗て誨ふることなくばあらず)です。
 原文はこうです。
 「子曰、自行束脩以上、吾未嘗無誨焉。」
 これの読み下し文はこうなります。
 「子曰はく、束脩を行ふより以上は、吾未だ嘗て誨ふることなくばあらず。」
 また、中国語簡体表記はこうなります。
 「子曰,自行束脩以上,吾未尝无诲焉。
  Zǐ yuē, zìxíng shù xiū yǐshàng, wú wèicháng wú huì yān。」
 ここで、この章の日本語訳はこうです。
 「孔子が曰はれた。人が礼をもって教えを乞いにくるならば、わしは今まで一度も教えなかったことはない、と。」
 語句・語彙の解説はこうなります。
 束脩を行ふより以上;行とは進めることです。束脩は十本の乾し肉のことです。古は人を訪う時には必ず進物を持って行くのが礼であった。束脩は最も軽い進物である。以上とは束脩以上に進物は色々あるからいうのです。これは教えを求める誠心を重んじて束脩を重んじないことを意味しています。束脩を進めるのは、誠心を表す方便ともいえます。
 この章は、孔子が自ら人を教えようとする心を述べています。人が来て学ぶように励ましたということを謂っているのです。
 自行束脩以上は、「自ら束脩を行うて以て上がらば」とも読めます。自ら束脩の礼を行って来たり学ぶという意味に解することもできます。