今日は7月10日水曜日です。昨日は、断続的に雨が降り、夜も七時前から激しい雨となりました。夜半にもまた雨が窓をたたいて眠りの邪魔をしました。
今朝はあいかわらず曇りがちでいつ雨になっても不思議ではないようですが、いまのところ隣家との境に咲いている紫陽花も薄青色の花を上に向けています。
昨日の孔子の論語は、修行の途にある者へ日々新たにすべき誨えとして自らも実践している4カ条として、ー分の仁義礼智信の徳がまだ完全でない、修め切っていないことを自覚すること、⊆分が勉めなければならない学の研究が明らかになっておらず途半ばであること、自分が善を聞いても早くその善の道へ遷って行くことができていないこと、ぜ分の不善を改めることができないでいることを、あげています。つまり、孔子は日に四省(修徳、学講、聞義徒、不善改)しているのです。こうなります、「日々四省、修徳、学講、聞義徒、不善改」。
さて、今日の。孔子の論語一日一章は、第7篇「述而第七」の第5章「甚矣吾衰也」(甚だしいかな、吾が衰へたるや)です。今日は間違って4章を飛ばしてしまいました。4章は明日にします。
これの原文はこうです。
「子曰、甚矣吾衰也。久矣吾不復夢見周公。」
また、これの読み下し文はこうなります。
「子曰はく、甚だしいかな、吾が衰へたるや。久しいかな、吾復(また)夢に周公を見ざるや、と。」
ここで、この章の中国語簡体表記はこうなります。
「子曰,甚矣吾衰也。久矣吾不復梦见周公。
Zǐ yuē, shén yǐ wú shuāi yě. Jiǔ yǐ wú bù fù mèngjiàn zhōugōng。」
この章の日本語訳はこうなります。
「孔子が曰はれた。わしも甚だしく気力が衰えたことだ。もはや久しく周公を夢に見なくなった、と。」
この章の語句・語彙はこうです。
甚だしいかな;傷み歎いた詞(ことば)です。
復(また)夢に見ざる;二度と夢に見ないことです。
この章は、孔子が自ら衰えの甚だしいのを歎じたものです。周公は名を旦といい、周の文王の子で武王の弟でもあります。成王を補佐し、法律制度をつくり、周の王室の基礎を定めた聖人でもあります。
孔子は年の盛んな時には、周公の道を行おうと志していたから、夢に周公を見たこともあったが、年が老いて周公の道を行おうと志していたから、夢に周公のことを見たこともあったのですが、年が老いて周公の道を行うことができなくなっては、もはや周公の道を行う志もなくまた周公の夢も見なくなったことから、自らの衰えの甚だしいことを歎じたものです。