今日の論語一日一章「徳之不修、学之不講、聞義不能徒、不善不能改」

 今日は7月9日(火曜日)月曜会の例会です。昨日、武藤美苗さんから出席の連絡がありました。うれしいかぎりです。

 さて、今日の論語一日一章は、第7篇「述而第七」の第3章「徳之不修、學之不講、聞義不能徒、不善不能改」(徳の修まらざる、学の講ぜざる、義を聞いて移る能はざる、不善改むる能はざる)です。
 これの原文はこうです。
 「子曰、徳之不修、學之不講、聞義不能徒、不善不能改、是吾憂也。」
 読み下し文はこうなります。
 「子曰はく、徳の修まらざる、學の講ぜざる、義を聞いて移る能はざる、不善改むる能はざる、是吾が憂ひなり。」
 さらに、中国語簡体表記はこうです。
 「子曰,德之不修,学之不讲,闻义不能徒,不善不能改,是吾憂也。
  Zǐ yuē, dé zhī bù xiū, xué zhī bù jiǎng, wén yì bùnéng tú, bùshàn bùnéng gǎi, shì wú yōu yě。」
 ここで、この章の日本語訳はこうなります。
 「孔子が曰はれた。己の固有する仁義礼智(信)等の徳が修めて完全に至らないこと、己の勉べき学が研究して明らかにならないこと、善を聞いても早くこれに遷って行くことのできないこと、己の不善を改めることのできないこと、この四つはわしの深く憂うる事柄である、と。」
 この章の語句・語彙の解説はこうです。
 徳;仁義礼智(信)の如きものを指しています。
 修まる;私欲に克って徳を全うすることをいいます。
 學;ここでは、詩書礼楽の類のことをさしています。
 講ずる;研究して道理を明らかにすることです。
 義;ここでは、善のいみに解します。
 この章は、孔子が自ら謙遜して人に日に新たにすべきことを誨えたものです。
 尹焞は曰っています。「徳は必ず修めて後に成る。学は必ず講じて後に明らかになる。善を見ては能く徒(うつ)る。過ちを改めることは吝(やぶさ)かではない。この4カ条は日に徳を新たにするのに肝要な事柄である。もしこれが出来なければ聖人でもなお憂うるのである。修行の途にある者が憂うべきことはいうまでもない。」と。