今日は7月7日(七夕)日曜日です。今日から魯迅「阿Q正伝」日記も第7篇「述而第七」に入ります。この篇の多くは、孔子が自ら謙遜して、人に教訓した辞や、孔子の容貌や行為等を記してあります。この篇はすべてで37章あります。
今日の論語一日一章は、第7篇「述而第七」の第1篇「述而不作、信而好古」(述べて作らず、信じて古を好む)です。
これの原文はこうです。
「子曰、述而不作、信而好古。竊比於我老彭。」
また、読み下し文はこうなります。
「子曰はく、述べて作らず、信じて古を好む。竊(ひそか)に我が老彭に比す、と。」
ここで、中国語簡体表記だとこうです。
「子曰,述而不作,信而好古。竊比於我老彭。
Zǐ yuē, shù ér bùzuò, xìn ér hǎo gǔ. Qiè bǐ yú wǒ lǎo péng。」
この章の日本語訳はこうなります。
「孔子が曰はれた。わしは古人の已に言っていることを受けこれを述べるばかりで、まだ古人の言わないことを自ら作り出すことはしない。古人の作ったことにあらゆる理が備わっているから、わしは深くこれを信じて疑わず、篤くこれを好んで厭わないのである。昔、殷の代(よ)に老彭という賢人があって、古人の言ったことを伝えてこれを述べ深く信じ篤く好んだが、わしは竊かに自らこの老彭に比してこのようにしているのである、と。」
さらに、この章の語句・語彙の解説はこうです。
述ぶ;すでにあることを受け伝えてこれを発表することです。
作る;まだないことを新たに作り出すことです。
竊かに比す;老彭を尊んでこのようにいうのです。
我が;親しんでいう辞です。
この章は、孔子が己の意見を発表する態度を述べたものです。
「作」は聖人でなければできないけれども、「述」は聖人の次の賢人でもできることであります。
孔子が詩書を刪(けず)り礼楽を定め、周易を明らかにし、春秋を修めたのはみな先王のしたことを受け伝えたので、自ら創作したのではないから、このように言われたのです。思うに聖人の地位にいないばかりでなく、また明らかに古の賢人にも近づこうとしないのであります。その徳がいよいよ盛んで、心がいよいよ下り、自らその辞の謙遜であることに気がつかないのである。けれども、当時は創造の任に当るべき聖人はたいてい出尽くしており、孔子はこれら諸賢人の大成した所を集めて、これを折衷したものです。その仕事は「述」であるけれども、その功は「作」に倍しているのです。この事こそ、また知らなければならないことなのです。(朱子による)