今日は7月5日金曜日です。朝から強い雨が降っています。6時にいったん起き、散歩しようかと思いましたが、小雨だったので新聞を読みまた眠りました。
朝刊の文化欄で北狄363号が紹介されていました。私の書いた「ねぶた師平蔵」(45枚)も私の名とともに載っていました。今のところ誰からも反響はありません。頑張って書いたつもりですが、反響がないのが残念です。今日の円相場は1ドル100.40円です。
さて、今日の論語一日一章は、第6篇「雍也第六」の第27章「中庸之徳也、其至矣乎、民鮮久矣」(中庸の徳たる、其れ至れるかな。民少鮮なきこと久し)です。第6篇「雍也第六」もあと2章となりました。
この章の原文はこうです。
「子曰、中庸之爲徳也。其至矣乎、民鮮久矣。」
これの読み下し文はこうなります。
「子曰はく、中庸の徳たる、其れ至れるかな。民鮮(すく)なきこと久し。」
ここで、中国語簡体表記ではこうなります。
「子曰,中庸之为德也,其至矣乎,民鲜久矣。
Zǐ yuē, zhōngyōng zhī wèi dé yě. Qí zhì yǐ hu, mín xiān
jiǔ yǐ。」
この章の日本語訳はこうです。
「孔子が曰はれた。徳は何人も同様に得ているものであるが、過不及なく平正で常に変わらない中庸の徳というものは誠に申し分のない至極の徳である。しかるに世が末になって、人の行う所知る所があるいは過ぎたり、あるいは及ばなかったりして、中庸の徳の鮮ないことはもう久しい。慨嘆すべきことである、と。」
ここで、この章の語句・語彙の解説はこうなります。
中庸;中は多過ぎもせず、足りなくもないことです。庸は平正で常に変らないことをいいます。
民(たみ);ここでは一般の人をいいます。
鮮(すく)なし;中庸の徳のすくないことをいいます。
この章は、人が中庸の徳を失っていることを孔子が慨嘆したものです。孔子の教えでは、このように中庸の徳を尊んでいるのです。