今日の論語一日一章「君子可逝也、不可陥也」

 今日は7月2日火曜日です。今朝は6時に起き、いつものように布団をあげ、洗面をし、新聞を取り込んでから散歩にでました。隣りの齊藤さんが犬を連れて散歩にでるのと同時でした。10歳になる小さな犬の散歩を朝だけしているといいます。小水は庭でするが、大便は散歩しないとしないのだそうだ。そういえば、隣家の犬は私を見ても吠えなくなった。年老いて、私を警戒する気もなくなったのかも知れません。それより親しみをこめて吠えることもできなくなったのかも知れません。今朝の円相場は1ドル99円60銭台です。暑くもなく、涼しくもない、凌ぎやすい気候ですが、ここ10日あまり雨が降らないのが気になります。

 さて、今日の論語一日一章は第6篇「雍也第六」の第24章「君子可逝也、不可陥也」(君子逝かしむべきも、陥るべからず)です。
 この章の原文はこうです。
 「宰我問曰、仁者難告之曰井有仁焉、其従之也。子曰、何爲其然也。君子可逝也、不可陥也。可欺也、不可罔也。」
 また、これの読み下し文はこうなります。
 「宰我問うて曰はく、『仁者は之に告げて井(せい)に仁(ひと)ありと曰ふと雖も、其れ之に従はんか。』子曰はく、『何爲(なんすれ)ぞ其れ然らん。君子逝かしむべきも、陥るべからず。欺くべきも罔(し)ふべからず。』と。」
 さらに、中国語簡体表記ではこうです。
 「宰我问曰,仁者难告之曰井有仁焉,其从之也。子曰,何为其然也。君子可逝也,不可陷也。可欺也,不可罔也。
  Zǎi wǒ wèn yuē, rénzhě nán gào zhī yuē jǐng yǒu rén yān, qí cóng zhī yě. Zǐ yuē, hé wèi qí rán yě. Jūnzǐ kě shì yě, bùkě xiàn yě. Kě qī yě, bùkě wǎng yě。」
 ここで、この章の日本語訳はこうです。
 「宰我孔子の弟子)が問うて曰うには、『仁者は慈愛を行おうと心がけておりますから、もし他人が詐(いつわ)って「井戸に人が落ちました」と告げても、すぐに井戸の中に入ってこれを救いますか。』孔子が曰われるには、『仁者は人を救おうとは思うが、どうして人もいないのにすぐに自ら井戸の中に入ってこれを救うようなことをしようか。仁者は人格の完成した君子である。君子は井戸までは往かせることはできるけれども、井戸の中に陥れることはできない。仁者は道理に従うものであるから、道理の有ることで欺くことはできるが、道理のないことで昧(くら)ますことはできない。それゆえ仁を行っても危害に陥るようなことはない。』と。」
 この章の語句・語彙の解説はこうなります。
 仁者;仁愛のある人です。
 井(せい)に仁(ひと)ありと;ここでの「仁」は「人」の字としてみます。人が井戸に落ちたことを言います。
 之に従う;井戸に入って落ちた人を救うことです。「之」は落ちた人のことです。
 君子;仁者のことをいいます。
 欺く;道理上あるべきことで人をだますことをいいます。
 罔(し)ふ;道理上あり得べからざることで人の心をくらますことをいいます。
 この章は、宰我が仁を行って危害に陥ることはないかと心配して、事件を仮設して質問したのに対して、孔子が仁者は決して危害に陥るものではないことを説明したものです。
 身が井戸の上にいればこそ、井戸の中の人を救いだすことは出来ますが、もし自分が井戸の中へ入ってしまえば、救い出すことはできなくなります。これは甚だ明瞭な道理です。最も仁者は人を救おうとする心が深くて、一身の利害を考えることはないけれども、あわてて井戸に飛び込むほどに愚かでもありません。(朱子の論によればです)