青柳隼人さんが東奥文芸賞の大賞に

 東奥文芸賞北狄の同人で先輩の青柳隼人さんが選ばれました。応募作品のことを青柳さんから聞いていましたし、第一次審査を通った段階で、受賞は間違いないと思っていました。それでも、元旦の紙上で青柳さんの大賞受賞が発表されたのを目にしたとき、自分のことのように嬉しく思ったのでした。
 二年後の文芸賞に自分が選ばれるよういまから精進を重ねようと思った次第です。そのために、いまできることから始めようと思っています。
 
 子規歳時は、
 
 元日や枯菊残る庭のさき (1895年、明治28年1月1日)
 
 120年前の乙未(因みに60年前は昭和30年1955年)は明治28年です。この年、子規は29歳。従軍記者として満州へ渡り、帰途発病し、療養のあと松山へ帰り、夏目漱石と50日余りともに暮らしたということです。その後、帰京して腰痛が始まったということのようです。