今日は大晦日です。

 12月31日、大晦日です。除夜の鐘、知恩院の鐘を聴くつもりです。今夜は、三男夫婦、次男一家、それに娘夫婦も家にあつまり、久しぶりに賑やかな年越しになりそうです。愠、良、恭、倹、譲を胸にしっかりたたきこみ、一年を終えることにします。
 
111 不在问现在要什么,只问自己能做什么。
 (今何が必要なのかを問わなくてもいい、自分に何ができるかを問うことです。)
112 人类最好是彼此不隔膜,相关心。然而最平正的道路,却只有用文艺来沟通,可惜走这条道路的人又少得很。
 (人類はお互いに分け隔てることなく、関心をもちあうのが最もいい。しかし、その最も平坦な道は、文芸をもって通じ合うほかはないが、惜しむらくは、この道を行く人はまた、あまりにも少ないのです。)
113 文艺是国民精神所发的火花,同时也是引导国民精神的前途的灯火。
 (文芸は国民精神が発する火の光であり、同時にまた、国民精神の前途を響く灯火でもあります。
114 嗜好的读书,该如爱打牌的一样,天天打,夜夜打,连续的去打,有时被公安局捉去了,放出来之后还是打。诸君要知道真打牌的人的目的关不在蠃钱,而在有趣。牌有怎样的有趣呢,……它妙在一张一张的摸起来,永远变化无穷。我想,凡嗜好的读书,能够手不释卷的原因也就是这样,他在每一叶里,都得着深厚的趣味。
 (好きでやる読書は、麻雀好きが、昼も夜もなく打ちつづけ、警察に捕まろうとも、出て来るなりまた打つのと似ています。皆さん、真の麻雀打ちの目的は金稼ぎにではなく、愉しみにあるのです。麻雀の愉しみとはどんなものでしょうか。…… その妙味は、牌を一つ一つ積ってくることによって、どこまでも変化が尽きないことにあるようです。好きでやる読書が、書物から手を離せなくなる理由も、似たようなものではないでしょうか。読者は、一頁一頁のなかに、味わい深い面白味を汲みとっているのです。)
115 有关本业的东西,是无论怎样节衣缩食也应该购买的,试看绿林强盗,怎样不惜钱财以买盒子炮,就可知道。
 (本業に関わるものは、たとえ衣食を削ってでも、買う必要がある。これは、山賊がいかに銭金を惜しまずにモーゼル拳銃を買うかをみれば、すぐわかるでしょう。)
 
116 选本所显示的,往往并非作者的特色,倒是选者的眼光。眼光愈锐利,见识愈深广,选本固然愈准确,但可惜的是大抵眼光如豆,抹杀了作者真相的居多,这才是一个文人浩劫
 (選集がはっきり示すところは、往々にして作者の持ち味ではなく、むしろ選者の眼光であります。眼光が鋭いほど、見識が深く広いほど、選集はいよいよ適確になるのです。だが惜しいかな、たいていの眼光は豆粒ほどに小さく、作者の真の姿を抹殺してしまうことが多いのです。これぞまさに、「文人の大厄」というものでしょう。
117 还有一样最能引读者人没途的,是摘句。它往往是衣裳上撕下来的一块绣花,经摘取者一吹嘘或附会,说是怎样超然物干,读者没有见过全体,便也被他弄得迷离倘恍。
 (同様に、読者を難なく迷路に引きこむのは、「抜粋」であります。それはほとんど、まるで衣装から引き裂かれた刺繍の花模様のようなもので、引き裂いた者がひとたび誇張し、こじつけて、その花がいかに超然として俗塵にまみれていないかを説けば、読者は全体を見渡せずに、翻弄されて煙に巻かれることになるのです。)
118 创作难,就是给人起一个称号或诨名也不易。假使有谁能起颠扑不破的诨名的罢,那么,他如作评论,一定也是严肃正确的批评家,倘弄创作,一定也深刻博大的作者。
 (創作は難しいものです。人に称号や渾名をつけるのでさえ容易ではありません。たとえば誰か、ぐうの音も出ないような渾名をつけることができる人がいるとしたら、彼が批評すれば、必ず厳しく的確な批評家となるだろうし、なお創作を手がければ、必ず豊かで味わい深い作者になるだろう。)
119 人感到寂寞时,会创作;一感到干净时,却无创作,他已经一无所爱。创作总根于爱。
 (人は寂寞を感じるとき、創作に向かうものです。心がすっきりすると、創作意欲はなくなります。彼にはすでに愛するものがないからです。このように、創作はすべて愛に根ざしているのです。)
120 「白描却并没有秘诀。如果要说有,也不过是和障眼法发反一调;有真意,去粉饰,少做作,勿卖弄而已。
 (「白猫(水墨画)」にまったく秘訣はありません。あるとすれば、ただ人の目をごまかすのとは逆の方法があるだけです。真意(まごころ)をこめ、粉飾を捨て、作為を減らして、見せびらかさない、ただそれだけなのです。)