6月27日、青梅をかきはじめなり果物帖

 今日は6月27日、火曜日です。昨日は好い天気でした。今日もそうだとよいのですが。あすは、原子力資料情報室で「日米原子力協力協定と日本のプルトニウム政策」に関する国際会議の総括会議と今後の活動についてのワーキンググループの会議があります。東京都の都議選の状況も見てくるつもりです。
 
 今日の魯迅箴言365日は、箴言88です。
 清朝虽然尊崇朱子,但止于”尊崇”,却不许”学样”,因为一学样,就要进学,于是而有学说,于是而有门徒,于是而有门户,于是而有门户之争,这就足为”太平盛丗”之累。况且以这样的”名儒”而做官,便不免以”民臣”自居,”妄自尊大”。
 Qīngcháo suīrán zūnchóng zhūzi, dàn zhǐ yú” zūnchóng”, què bùxǔ” xué yàng”, yīn wéi yī xué yàng, jiù yào jìn xué, yúshì ér yǒu xuéshuō, yúshì ér yǒu méntú, yúshì ér yǒu ménhù, yúshì ér yǒu ménhù zhī zhēng, zhè jiù zú wéi” tàipíng shèng shì” zhī lèi. Kuàngqiě yǐ zhèyàng de” míng rú” ér zuò guān, biàn bùmiǎn yǐ” mín chén” zìjū,” wàngzìzūndà”.
 清朝朱子を尊崇はしたが、「尊崇」にとどまって、「その通りを真似る」ことは許さなかった。なんとなれば、その通りを真似ることになればやがて学問を講ずることになり、そこから、学説が生まれるし、そこから門徒が出てくる。だからして、派閥が生まれ、そこから派閥の争いが起こる。これは、「太平の御世」の累いたるに十分である。ましてこのような「名儒」を官吏とすれば、とかく「名臣」をもって自任し、「妄(みだ)りに尊大になり」がちなものだ。