6月26日、蝸牛の頭もたけしにも似たり

 今日は6月26日月曜日です。検診日なのに体重がへりません。昨日は、朝一番で仙台へ行き、10時まで八木山動物園のカバの前にいました。あとは、地下鉄に乗り、自治労会館で研究会に出て、帰ってきただけです。途中、川柳の仲間に出会ったのが偶然でした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言87です。
 这是明亡后的事情。凡话着的,有些出于心服,多数是被压服的。但活得最舒服横恣的汉奸,而活得最清高,被人尊敬的,是痛骂汉奸的移民。后来自己寿终林下,儿子己不妨应试去了,而且各有一个好父亲。至于默默抗战的烈士,却很少能有一个遗孤。
 Zhè shì míng wáng hòu de shìqíng. Fán huàzhe de, yǒuxiē chū yú xīnfú, duōshù shì bèi yāfú de. Dàn huó dé zuì shūfú héng zì de hànjiān, ér huó dé zuì qīnggāo, bèi rén zūnjìng de, shì tòng mà hànjiān de yímín. Hòulái zìjǐ shòu zhōng lín xià, érzi jǐ bùfáng yìngshì qùle, érqiě gè yǒu yīgè hǎo fùqīn. Zhìyú mòmò kàngzhàn de lièshì, què hěn shǎo néng yǒu yīgè yígū.
 これは明が滅んだ後のことである。およそ生き残ったものは、心から服従したものもあったが、多くは圧迫されて服従した。最も美しく気ままに生きたのは漢奸であった。最も高潔に生き、尊敬されたのは漢奸を痛罵した逸民であった。そして後に、自分が林の中で寿命を終えてしまえば、その息子が国家試験を受けに行ってもかまわなかったし、それぞれが父親をもつことができた。黙々と抗戦した烈士に至っては、ひとりの遺児を残すものさえ稀であった。