4月30日、行く春や日記を結ぶ藤の歌

 今日は4月30日、火曜日、振替休日です。今日は平成最後の日でした。平成の30年間は僕にとって40歳から69歳までの人生の成熟期の30年でした。20年は自治労に居て、あとの10年は自治労以外の市役所、中国、浪人、GEAと社民党の10年間でした。GEAはことし1年、社民党とは7月21日でお役御免にするつもりです。

 今日の子規歳時は、「行く春や日記を結ぶ藤の歌」です。
 僕の今日の川柳は、「春を消し日記で結ぶシクラメン」です。

 今日の論語は、「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為す、これ知るなり」(論語為政篇第17章)です。
 知之为知之,不知为不知,是知也,「自分で確かめ、考えて、本当に知ったことを、知るというのだ。世間の情報を聞きかじっただけで、自分ではっきり認識したわけでないことは、知るとはいわない。この二つをきびしくわけ、前者を知るとし、後者を知らないとする、これを知るというのだ」

 今日の魯迅箴言は、箴言120「华盖集续编/学界的三魂」です。
「中国の役人病はまったくひどいものである。
 韓では孝行廉潔を重んじて役人の資格にしたので、親を養うために自分の子を埋めたり、死んだ母親の像を木に刻んで仕えるということがあった。
 宋では理学を重んじたので、高い帽子と破れた靴の風習がある。
 清では八股文を重んじて「且夫」や「然則」といった文章が盛んになった。
 これは要するに、その魂はただ役人になること、――役人の権勢をふるい、役人風をひけらかし、役人言葉で話をすることにあった。」