魯迅箴言日記 2023/01/14 いくたびも雪の深さを尋ねけり(明治29年、1896年)

 今日は1月14日、土曜日です。今日は鹿角市に行き、午後は中国語の会、夕方、工藤慎一さんとホテル2135で会います。

 今日の子規歳時は、「いくたびも雪の深さを尋ねけり(明治29年、1896年)」です。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-110「「急いては言葉を選ばない」ことの病源は、」です。

 「急不择言」的病源,

    并不在没有想的工夫,而在有工夫的时候没有想。

 「急いては言葉を選ばない」ことの病源は、

 考える暇がないからではなく、暇があっても考えないことにある。

魯迅箴言日記 2023/01/13 初雪や綺麗に笹の五六枚(明治25年、1892年)

 へ今日は1月13日、金曜日です。今日は日課をやり、昼に生協へ買い物に行き、夕方にせんなりで四人会(逢坂、中村、山宮、笹田)です。

 今日の子規歳時は、「初雪や綺麗に笹の五六枚(明治25年、1892年)」です。

 この日、子規が虚子に送った手紙に同封されていた笹の葉に書かれてあった一句。虚子も小説家になりたかったようで、この月、子規も小説「月の都」を執筆中であったが、幸田露伴の反応を得られず、小説家を断念しています。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-109「誰が言ったのか忘れてしまったが、」です。

 忘记是谁说的了,

    总之是,要极省俭的画出一个人的特点,

    最好是画他的眼睛。

    我以为这话是极对的,

    倘若画了全副的头发,即使细得逼真,

    也毫无意思。

 誰が言ったのか忘れてしまったが、

 つまり、極力筆を省いて一人の人間の特徴を描くには、

 彼の眼を描けばいい、と。

 これは的を射て妙である。

 頭髪のすべてを描いたところで、細かさは真に迫るにしても、

 まったく意味がない。

 

魯迅箴言日記 2022/01/12 おお寒い寒いといへば鳴く千鳥(明治27年、1894年)

 今日は、10時から古川事務所で県民エナジー生協合同会議(広瀬、富岡、北村、平野、井上、北川)、昼飯は広瀬さんと辻製麺、1時からふれあいの館で守衛していた三甲会の千葉氏と会う一艘川柳教室(一艘、てる、みずき、健二、たかしの5人)、3時終了し、成田本店(401号の納本と400号の返本)へ寄り、910での一艘教室の新年会(同じ5人のメンバー)、5時45分散会、7時40分運転代行で帰宅。

 今日の子規歳時は、「おお寒い寒いといへば鳴く千鳥(明治27年、1894年)」です。

 寒いは冬の季語、千鳥も冬の季語で、季重なりの句です。明治27年2月11日、新聞「小日本」創刊、子規は編集責任者。5カ月後に廃刊となる。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-108「幻滅するのは、多くの場合」です。

 幻灭之来,

   多吧不在假中见真,

   而在真中见假。

 幻滅するのは、多くの場合、

 仮のなかに真を見たときではなく、

 真のなかに仮を見たときである。

魯迅箴言日記 2022/01/11 寒かろ痒かろう人に逢ひたかろう(明治30年、1897年)

 今日は1月11日、水曜日です。日課、ブログ、生協、北狄配本、新報配達、水曜会、青森ペンクラブと予定はぎっしり、それに、小説、川柳、仕事と続きます。

 今日の子規歳時は、「寒かろ痒かろう人に逢ひたかろう(明治30年、1897年)」です。

 この句は弟子の河東碧梧桐天然痘にかかったことを気遣う句です。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-107「あえて正視してこそ、」です。

 必须于正视,

    这才可望敢想,敢说,敢作,敢当。

 あえて正視してこそ、

 はじめて果敢に考え、説き、行ない、事に当れるのだ。

魯迅箴言日記 2023/01/10 ここらにも人住みけるよ冬の山(明治31年、1898年)

 今日は1月10日、火曜日です。正月の3連休もおわりました。遅れていた年賀状120枚を完成させ、朝に投函します。日課も、ブログの更新も順調です。あとは、県民エナジー原告団、GEAの仕事をかたずけるだけです。今日から本格始動開始です。小説も402号にむけて日課に向けてかき始めます。11課を」12課とします。

 今日の子規歳時は、「ここらにも人住みけるよ冬の山(明治31年、1898年)」です。冬の山道を奥深く分け入ってみると、やがて人家が見えてきて、こんなところにも人が住んでいると素直に述懐している句です。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-106「人生は、寄せ集めのなかにではなく、」です。

 人生却不在拼凑,

    而在创造,

    几千百万的活人在创造。

 人生は寄せ集めのなかにではなく、

 創造のなかに在る。

 幾千万の生ける人々は創造とともに在るのだ。

 

魯迅箴言日記 2023/01/09 太平記火桶に袖をこがしけり(明治29年、1896年)

 今日は、1月9日、月曜日ですが、成人式の祝日、です。今日は、北狄401号を成田本店に持っていき、今日から北狄402号の小説の執筆を開始します。1日を大切にしていきたいものです。輝代さんと仲良く、穏やかに笑って生きていきます。温良恭倹譲の気持ちを心に決めています。毎日、小説を書いて、川柳を詠み、11課の勉強をつづけ、ブログを綴り続けます。孔子魯迅漱石、子規、マルクス岩井克人高木仁三郎にとりかこまれて、輝代さんに三度の食事をつくってもらい、10時と15時に珈琲を運んでもらっている、信じられないくらい幸せな一日一日です。

 今日の子規歳時は、「太平記火桶に袖をこがしけり(明治29年、1896年)」です。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-105「濁流はむろん、」です。

 一道浊流,固然不如一杯清水的干净而澄明,

    但蒸馏了浊流的一部分,却就有许多杯净水在。

 濁流はむろん、一杯の清水の清潔さや透明さにおよばない。

 だが、濁流の一部を蒸留すれば、何倍もの澄んだ水になる。

魯迅箴言日記 2022/01/08 逃げる気もつかでとらとはるる海鼠哉(明治25年、1892年)

 今日は1月8日、日曜日です。今日から大相撲初場所です。2週間、午後4時から6時まで、本命なき優勝争いがにぎやかに繰り広げられる。今日はじっくり日課とブログの更新に時間をさいた。昨日は半日、川柳につかった。句会にその後の新年懇親会といったぐあいだ。アウガからあがさまいに会場を移して、句会は16人、懇親会は9人であった。小説に専念することを促された。川柳はまだまだだ。

 今日の子規歳時は、「逃げる気もつかでとらるる海鼠哉(明治25年、1892年)」です。「つかで」で、「海鼠」が逃げる気があるのか、ないのか、楽しんでいる子規のすがたが目に浮かびます。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-104「ひとたび、二度と自分を欺き人を騙すことのない時が来れば、」です。

 一到不再自欺欺人的时候,

   也就是到了看见希望的萌芽的时候。

 ひとたび、二度と自分を欺き人をだますことのない時が来れば、

 すなわちそれは、希望の萌芽を眼にする時が来たのである。