『詩経』と『万葉集』にみる民衆の違い

 ここに中国の『詩経』と日本の『万葉集』の大きな違いがある。『詩経』の詩篇のなかでは、民衆の搾取者に対する怒りはきびしく、『万葉集』には民衆のそうした怒りや哀しみの歌はあまりない。
 民衆の生活をこのような窮乏に陥れたのは、必ずしも搾取のみではなかった。人びとがより以上に苦しんだのは戦争であり、征役であり、防人として徴集されることであった。
 『万葉集』の防人たちは「大君の命かしこみ」と遠のみ門に雄々しく出で立つことを歌ったが、『詩経』の詩篇では、それが「王事やむことなし」という歎きの言葉で表現される。
 西周二百数十年を通じて、征役はほとんど絶えることはなかったが、東周遷都前後の衰乱の時代になると、それはいっそうはなはだしかったのである。それは、魏のような貧しい土地からも、防人は仮借する所なく徴集されたという。
 このように中国の人民は、三千年もの昔から貧しく、苦難の歩みをしいられ、世界第二位のGDPを誇る今日においても十四億人の艱難はいまもつづいているのだ。
 一方、『万葉集』の時代から、日本の人びとは貧しさを疑うことを知らないばかりか、怒ることを忘れ、いまもって、善良な人の多くには、貧乏をあまり気にしない人が多いのである。