今日は10月3日です(和辻哲郎の人類の教師説)

 今日の論語一日一章は、和辻哲郎の『孔子』ついての紹介です。
 この本は昭和13年8月にその「序」が和辻哲郎によって書かれています。出版は岩波書店です。序で和辻はこう書いています。「自分が志したのは、いまだ孔子に触れたことのない人に『論語』を熟読玩味してみようという気持ちを起こさせることであった。それが成功しなければ、『論語』をいまだ読まない人が依然としてそれを読まないというだけのことであり、幸いにして成功しても、あとには専門家の注釈や研究が数え切れないほどあるのであるから、自分の誤謬が人と誤ることもなかろうと思われる。と言って、すでに『論語』を知っている人にはこの書は全然用がないというわけでもない。そういう人にも他山の石としてはいくらか役立つであろう。」
 そして、和辻哲郎の『孔子』は、昭和23年3月に増補のうえ、同じ岩波書店から再版されているのです。
 和辻がいうように、孔子の『論語』を読むには、この和辻の『孔子』を読むにしくはないのです。
 和辻哲郎は、釈迦、孔子ソクラテス、イエスの四人をあげて世界の四聖といわれていることから論を始めています。この四人を四聖と呼ぶ背景には、「西洋のみ偏らずに世界の文化を広く見渡すという態度が含まれている」と言っています。つまり、「インド文化を釈迦で、シナ文化を孔子で、ギリシャ文化をソクラテスで、またヨーロッパを征服したユダヤ文化をイエスで代表させ、そうしてこれらに等しく高い価値を認めようというのである」としています。
 和辻はこれらの四聖を「人類の教師」と呼んではばからない