10月2日、金曜日昨夜は暴風でねむれませんでした

 10月2日、9月24日からライフワークの原子力防災のことを集中的に勉強してはまっています。青森県内にある5つの原子力関係施設が国の原子力規制委員会に適合性審査を申請しています。その状況と東通原発の再稼働にあたっての住民避難計画の実効性についての検証を原子力防災の立場で試みています。福島第一原発事故級の重大事故が発生したとき、30km圏内の住民ははたして計画通り避難することが可能なのでしょうか。避難先の自治体の受け入れ態勢は万全なのでしょうか。私には、こんかいの計画は机上の空論で、実際に重大事故が起こった場合、東通村むつ市横浜町、そして六ヶ所村は避難どころか、避難先の青森市弘前市に至る市町村も至る所でパニック状態に陥ることは間違いがないように思います。

 今日の子規歳時は、
 線香の烟に向ふ蜻蛉かな (1895年、明治28年10月2日)
 愚陀仏庵滞在中の子規は、石手・城北の散策の後、鼻血を出してしばらく静養して、10月2日は、中の川を渡り、伊予鉄線路に沿うて石手堤に上り、焼場からお薬師を経て帰って来たのでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言85です。
 中国向来的老例,做是帝做牢靠和做倒霉的时候,
 总要和文人学士扳一下子相好。
 做牢靠的时候是”偃武修文”,粉饰粉饰;
 做倒霉的时候是又以为他们真有”治国平天下”的大道,
 再问问看,要说得直白一点,
 就是见于≪红楼梦≫上的所谓”病笃乱投医”了。
 Zhōngguó xiànglái de lǎo lì, zuò shì dì zuò láokào hé zuò dǎoméi de shíhòu,
 zǒng yào hé wénrén xuéshì bān yīxià zǐ xiānghǎo.
 Zuò láokào de shíhòu shì” yǎn wǔ xiūwén”, fěnshì fěnshì;
 zuò dǎoméi de shíhòu shì yòu yǐwéi tāmen zhēnyǒu” zhìguó píng tiānxià” de dàdào,
 zài wèn wèn kàn, yào shuō dé zhí bái yīdiǎn,
 jiùshì jiànyú ≪hónglóumèng ≫shàng de suǒwèi” bìngdǔ luàn tóuyī”le.
「中国には古くからのしきたりがあり、皇帝が運が悪いときと堅実なときにするのは、すべて文人学士と親しくするのです。堅実なときには、皇帝は「軍備を縮小し、文教を興す」のであり飾り立てます。また、運が悪いときには、「国を治め、天下を平定」する大道を歩もうとするのです。さらに、聞かれて、また診て聞かれたら、返事はただ一点だけです。「紅楼夢」にあるように、いわゆる「危篤になってから医者に診てもらう」のではすでに遅すぎるからなんです。」
 
 今日の論語一日一章は、論語11-20(論語巻第六 先進第十一篇 20章)です。
 子張問善人之道、子曰、不践迹、亦不入於室、
 Zi zhāng wèn shànrén zhī dào, zǐ yuē, bù jiàn jī, yì bù rù yú shì,
(子张问善人之道,子曰,不践迹,亦不入於室,)
「子張、善人の道を問う。子曰わく、迹を践まず、亦た室に入らず。」
(子張が善人の在り方についておたずねした。孔子はいわれた、「先賢の跡をふんでゆくのでなければ、奥義には入れない。」と。)