10月3日、奏海の会とおかじょうき句会

 10月3日、土曜日です。10月1日の暴風雨の余波が続いているのか、雨風が突然強くなるのです。昨日は久しぶりに公立大学をのぞいてきましたし、帰りに毎日新聞の販売店にも寄ってきました。戦争法案の論説では際立っていたのを述べましたが、反面、購読をやめる読者もいるということでした。とっさに、論語の「過ぎたるは及ばざるがごとし」を思い出しましたが、読者におもねることなく、義を貫いてほしいと思います。
 原子力規制委員会の新基準に基づく適合審査の状況を見守りつつ、住民の避難と原子力防災の課題は後回しにされているだけに、避難計画の実効性は乏しく、万一事故がおこれば、7万人の難民がでることになるという事実を明らかにして、世論を喚起できればと思っています。
 今日の奏海の会も午後のおかじょうき句会も満足しています。句会の呼名は7回でした。佳作に選ばれ、自分の名を返すのは、いまだに照れくさいものです。

 今日の子規歳時は、
 花木慬雲林先生恙なきや (1895年、明治28年10月3日)
 散策の途次、藤原村(いまの相生町)の浦屋先生村居(のち料亭亀の井)の前を通ったようです。浦屋雲林は松山藩儒者であり、詩文をよくし、子規は少年時代、その教えを受けました。明治31年10月15日に没しています。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言86です。
 倘有人作一部历史,将中国历来教育儿童的方法,用书,作一个明确的记录,给人明白我们的古人以至我们,是怎样的被熏陶下来的,则其功德,当不在禹(虽然他也许不过是一条虫)下。
 Tǎng yǒurén zuò yī bù lìshǐ, jiàng zhōngguó lìlái jiàoyù értóng de fāngfǎ, yòngshū, zuò yīgè míngquè de jìlù, jǐ rén míngbái wǒmen de gǔrén yǐzhì wǒmen, shì zěnyàng de bèi xūntáo xiàlái de, zé qí gōngdé, dāng bùzài yǔ (suīrán tā yěxǔ bùguò shì yītiáo chóng) xià.
「もし歴史の一部をつくる人がいるなら、中国ではこれまで児童を教育する方法として、、古人が現代の私たちに至るまでのことを、私たちにわからせるように、一つの明確な記録としての歴史書を用いるのだ。つまり、夏の国の禹(もちろん当然私たちはひとかけら虫にもなっていないが)の時代には私たちは存在しないが、それがどのような功徳をうけて、またどんな薫陶を得て、今日まで至ったかを書いた歴史書を用いて児童を教育するのだ。」

 今日の論語一日一章は、論語11-21(論語巻第六 先進第十一篇 21章)です。
 子曰、論篤是興、君子者乎、色荘者乎、
 Zǐ yuē, lùn dǔ shì xìng, jūnzǐ zhě hū, sè zhuāng zhě hū,
(子曰,论笃是兴,君子者乎,色莊者乎,)
「子曰わく、論の篤きに是れ与すれば、君子者か、色荘者か。」
孔子がいわれた、「弁論の篤実さだけをよしとしていたのでは、君子の人か、うわべだけの人か、(よくは分からない。)」と。)